寝かせてみる
考えても、考えても、答えが出ないとき。
苦しいよね
だからもっと考える
でも、考えて答えが出るなら本当はもう出てるはずなんだ
答えを出すには、違う方法が必要なのかもしれない
たとえば、寝かせること。
寝かせると、不思議と答えが出る
それはきっと、寝かせてる間に余計なものが削ぎ落とされるから。
不安、葛藤、猜疑心
そこから巡る思考
そういうものが剥がれて、最後に残るのは「自分がどう感じるか」
答えは、時に自分の感性が教えてくれる
なんとなくいい、なんとなく気が進まない
そんな感覚って、結構頼りになるものなんだ
答えに根拠を問われたら?
ありのまま言えるなら言えばいい、直感だって
言えないなら、後から理屈だけ作ればいいよ
考えすぎて、苦しくなったら、寝かせてみよう
決してサボってるんじゃない
一生懸命答えを出そうとしてるんだって自信を持って
最初は勇気がいるけど、きっとできる
言の葉
「言葉」というありふれた響きが、
「言の葉」と形を変えた途端、はっとするのはなぜだろう
「言」の「葉」ー。
「葉」という響きの中にある、風に乗ってひらひら舞い落ちるような儚さと美しさ。
人は、言葉を通して考え、感じる。
人は、自分の気持ちを言の葉に乗せて、人とつながる。
みんな、感情の数ほど言葉は持ち合わせていないけれど、
持っている言葉の中から「これかな?」と思う言葉を選んで声に出す。
-自分の気持ちを伝えたい-
そんな純粋な想いを届けてくれるのが「言の葉」なんだ
相手に自分を刻みつけようと発せられる、必要以上に強い言葉が、世の中に溢れてる
言葉の強さの絶対値は、そのまま人の心を表してる
強すぎる言葉に触れるたび、私の心にはしとしとと雨が降る
批判されたっていい。響かなくたっていい。
忘れ去られてしまいそうに繊細でも、相手を包み込むような優しい言葉を使いたい
大切に、慈しみたい
自分の気持ちも、それを乗せた言の葉も、そして目の前にいる人も
どんな自分でも大丈夫
人の期待に応えられないとダメ
いつも元気でいないとダメ
いい人でいないとダメ
そんな条件を全部はずして、無条件で自分を受け入れてあげる。
それがきっと、自分を愛するっていうこと。
条件付きでしか自分を受け入れてあげられない自分
そんな自分ですら「それでいいんだよ」とOKを出してあげる。
それがきっと、自分を愛するっていうこと。
自分を愛せると、きっと生きるのが楽になる。
どんな自分でも「これでいいんだ」って思える。
それは、自分で自分の心を自由にできたってこと。
感性を、言葉で取り戻す
2週間ほど前から、高校時代の友だちと交換日記(共同ブログ)をはじめました。
https://note.mu/hirobiro_wattle
私が転職を繰り返し、苦しい真っ只中にいるときから不思議と連絡を再開した大切な友だち。
どん底にいるときでも、ずっと見守り、励まし、素の自分を肯定し続けてくれた人です。
今日はそのブログから、自分の心の中をとてもうまく表現できた記事をそのまま引用したいと思います。(ちなみに、「ひろびろ」が私です)
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1.感覚と感性
感覚は、自分自身にいろいろなことを教えてくれると思う。
好きか嫌いか、心地よいかよくないか、進むべきか立ち止まるべきか。
よくよく感覚に耳を澄ませば答えは出ていることも多いのに、それに気がつくのはなかなか難しい。きっと、思考がそれを邪魔してるんだと思う。
身近な例で言えば、人の好き嫌いは、基本的に感覚が一番知っていると思う。頭で考えて「この人は●●だから好き」って思うより、「理由はないけど、なんかこの人好き」と感じる方が、余程自分の心の中心に近い気がする。
感覚を感じる力のことを感性と呼ぶとすると、感性と思考にはトレードオフのような関係性があって、一方が強くなればもう一方は弱くなる気がする。頭ばかり使っているときは、五感で受け取る情報が極端に減っていると思う。
でも、人を幸せに近づけてくれるのはきっと感性のことのほうが多い。「普通そんなことしないでしょ!」と周りから非難されるような選択も、それが自分の感覚に正直になった結果だとしたら、きっとそれで間違ってない。頭を使うことも大切だけど、そればっかりじゃ大切なものを見逃しちゃう。
2.感性は、言葉にすることで取り戻せる
俺の場合、「頑張っているのになんで気持ちが満たされないんだろう」って感じるときは思考に偏ってるケースが多いんだけど、感じてることを言葉にするほど、鈍った自分の感性は徐々に取り戻せることに最近気がついた。
言葉にして表現して初めて、自分の内側から出た言葉にハッとさせられることがある。「ああ、自分はこう思っていたんだなあ」というように。
感じていることを言葉にしてみたものの、「あれ?なんかうまく言えてないな…」と感じることも多いけど、そう感じること自体がすごく大事だと思う。なぜならそれは、自分の感覚をちゃんと感じようとしていることの表れだから。しっくりこなかったら、また別の言葉を探してみてもいい。
そうやって試行錯誤するたびに、自分が自分の中心地に近づいていける。
俺にとってはこのブログは、まさしく自分の感覚や感性を言葉にして表現させてもらえる場所。書いているときは、「考えている」というより、「自分自身にアクセスしている」とか「自分の感覚とつながっている」という感じ。だから、書けば書くほど元気になっていくんだよね。
感じていることを言葉にして、聞いてくれる相手がいることってとても素敵なことだし、尊いこと。
これからもこの場所と、感性でつながり会える人たちを大切にしていきたい。
キャリアコンサルタントの資格を取りました
3ヶ月ぶりの更新。
この数ヶ月も激動でした。
働きながら頻繁にブログを更新している人って本当にすごいと思う。
どれだけ高出力のエネルギー炉持ってるんだ…と思ってしまいます。
忙しいときって、充実しているなと感じる一方で、ここに書きたいような心の声がどんどん聞こえなくなっていくような感覚があります。
私の場合「心の声が聞こえる度合い」と「幸福度」が結構比例するので、いかに心の声が聞こえる状態をキープするかが重要命題です。
と、いきなり話が逸れましたが、先日キャリアコンサルタントの資格を取りました。
今日は自分自身の整理も兼ねて、今後やりたいことを言葉にしてみます。
①私の原点となった本
私が大学生のとき、世間で「インターンシップ」という言葉が使われ始め、大学に就職予備校のような役割が生まれました。キャリア教育が始まったのもこの時期です。
私自身もベンチャー企業での長期インターンに参加し、就職活動に向けて「働くってなんだろう」とか、「自分に向いている仕事ってなんだろう」と考え始めたとき、こんな本に出会います。
親から「仕事とは嫌々やるもの、その対価として給料をもらうもの」と聞かされていた私には、「ライフワーク」という概念は衝撃的でした。
ライフワークとは仕事を指すとは限らず、生き方そのものを表す概念だという説明にも自分の中にストンと落ちるものがありました。(親に紹介したところ、「理想論だ!」と一蹴されました。笑)
この本がきっかけになり、今日まで、「人と仕事の結びつき」に強い興味を持って働いてきました。
現実に経験するどんな仕事も、私にとっては「自分」と「仕事」の双方を分析するための材料でした。
最初は「自分に向いている仕事ってなんだろう」というから始まった問いは、いつしか「人が一番輝く瞬間ってどういうときだろう」という問いに変わっていました。
気づいたら、主語が「私」から「人」に広がっていました。
②個人的興味の先に目指したい世界
人には、仕事に限らずそれぞれ一番輝く瞬間、心のもっと奥の、魂レベルで「楽しい!」と感じる瞬間があるような気がしていて、
そういう時間をなるべく多く過ごして自分も周囲も幸せな生を生きたい、というのがずっと持ち続けている私の想いです。
仕事とか働くことというのは「生」に直結する営みです。
その時間を自分自身が輝くものにできたら、きっと豊かな人生になるはず。
そんな時間を自分自身も過ごし、人にも過ごしてもらうためには、「人」と「仕事」の両方への理解を深める必要があると感じていました。
そんなことを考えながら人材業界で働いていたとき、それまで民間資格だった「キャリアコンサルタント」が国家資格になりました。
勉強するだけの時間と資金、自分自身の成熟度が整ったと感じたときに勉強を始めよう、と思いながら、やっと勉強を始められたのが昨年の9月です。
③直近の問題意識
ここから先は完全に私の個人的意見です。
明確な根拠に基づくというより、キャリアコンサルタントの勉強をする中で肌で感じた感覚的な話になりますが、今後はこれまで当たり前だった企業勤めの働き方が崩壊し、一人ひとりが持っている知識やスキルがより一層問われる時代になっていくはずです。
少子高齢化、労働力減少を背景に、企業は理想的な人口ピラミッドの維持ができなくなり、年齢に関係なく優秀な即戦力人材を求めるようになっていくと思います。
労働者の目線で見れば、年齢が転職のハードルにはならなくなる一方で、これまで以上にシビアに「あなたは何ができるのか」を問われることになります。
企業の人件費負担を増大させる退職金制度は、今いる従業員の反対の声に押されてすぐに撤廃されることはなくとも、徐々に縮小され、いずれ全廃されるでしょう。
これまでと同じように企業勤めをしても過去の世代よりも給与や退職金が減っていくのだとしたら、個人として副業をしながら生計を立てようという機運はさらに高まっていくはずです。
そうなると、労働者としてはパラダイムを180度変える必要に迫られます。
これまで会社の要求に応えれば成り立っていた生活が、自分起点で「何を仕事にするか」を考え、形にしなければ維持できなくなるからです。
そんなときに、仕事と個人をつなげ、時代に即した多様な働き方を実現する支援者が必要で、キャリアコンサルタントはその一つの形です。
キャリアコンサルタントを増やそうとしている厚労省の回し者でもなんでもないのですが、今後、働き方の多様化、組織ベースから個人ベースに仕事の移行が進んでいく中で、そうした時代の変化を先端で感じ取り、人と仕事について学び続けて、「働く」という側面から人の役に立ちたいと思っています。
仕事や働き方の先行きが見えない時代だからこそ、先に書いた、“人がそれぞれ一番輝く瞬間、心のもっと奥の、魂レベルで「楽しい!」と感じる瞬間”を追求して人と関わっていきたいと考えています。
具体的な行動は、これから情報収集をしながら絞り込んでいくつもりですが、一つだけ決めているのは、「目の前の個人に全力で寄り添おうとする、誠実な存在でありたい」という信念です。
ビジネスという合理・効率の世界と、人間という非合理・非効率な存在との間で揺れ動きながらも、常に人間の側に根を下ろす存在として、自分と他者に関わっていきたいと思っています。
「自分」になっていく
ふと頭に浮かんだこと。
「何のために生きるのか?」
「何のために人と関わるのか?」
と問われたら、一つの答えは「自分になっていくため」なんじゃないかと思う。
人は皆色々な欲求を持つけれど、その中心にあるのは「もっと自分になりたい」という魂の声のような気がする。
関わる人すべてと家族になるわけでも、恋人になるわけでもないんだけど、
関わることで、確実に自分が生き生きとしていくような、そんな尊い人とも人生では出会う。
そんな関係を通じて、人はこれまでよりさらに「自分」に近づいていく。
−もともと持っていた「らしさ」みたいなものが表に出て、本人も自分の「らしさ」に気づいて、それを意識して磨いたり、人のために役立てようとしたりする−
自分自身ももちろんそうなりたいけど、誰かのそんな場面に立ち会うのもまた楽しい。
関わることで、相手がより「自分になっていく」推進力になるような、そんな人ってとても素敵。
色々な人と関わりながら、より自分の中心を目指していくのが人生なのかなと、最近思います。