ココロを自由にするブログ ~自信を育て、しなやかな自分を創る~

不安に振り回されず、自由に生きる。3度の休職を乗り越えた筆者が考える、心の自由を手に入れ、幸せな人生を歩むための、考え方と行動のヒント集。

【書評】コロナ禍を生き延びる精神性を学ぶ〜『賢者の書』(著:喜多川 泰)〜

 前回の記事を書いてからかなり生活の変化がありました。

 

 オフィスへの出社は7~8割減、急遽自宅にテレワークの環境を整え、新たな生活に慣れるべく試行錯誤しています。

 

日々、医療現場で懸命に治療にあたっている医療従事者の方々をはじめ、私達の生活を支えてくれているスーパーの従業員、宅配業者の方々など、社会のインフラを担ってくださっている皆様に深く感謝しながら、今日の記事を書きたいと思います。

 

今日は、この混沌とした今だからこそ読みたい一冊をご紹介します。

賢者の書(新装版) (喜多川 泰シリーズ)

賢者の書(新装版) (喜多川 泰シリーズ)

  • 作者:喜多川 泰
  • 発売日: 2009/08/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

①一言でいうとこんな本

結論から言うと、この本は購入を強くお勧めする名著です。

 

一言でいうと、この本は

  • 中年サラリーマンの主人公アレックスが、「賢者」を目指して9人の賢者から教えを乞う旅をしている少年サイードと出会い、
  • イードの持っていた旅の記録、『賢者の書』を読んで、人生において大切なものに気づいていく物語

です。

 

読者はアレックスに自分を投影し、『賢者の書』から人生のエッセンスを学び取れるように工夫されています。

 

実は、私がこの本と出会ったのは10年前。

 

10年経ち、前回の記事を書いたときにふとこの本の存在を思い出して、急いで注文して読み直しました。

yudaism.hatenablog.com

 

それくらい、当時大学生だった私の心に深く刺さるメッセージが込められていました。

第1刷は2009年。2019年に第13刷が発行され、この10年増刷され続けています。

 

 

②最も心に残ったメッセージ

9人の賢者の教えの中でも、私の心に深く突き刺さったのがこちらです。

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 ■幸福(第七の賢者)
  • 自分の幸せばかりを願う人にとって、この世は辛いことが多く、思うようにいかず、楽しいことの少ない試練の場になる。
  • 他人を幸せにできることを探す人にとっては、この世は喜びに満ちた、楽しいことの多い、チャンスに満ちた輝ける場になる。
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この文章だけではイメージが湧きづらいかと思います。

このメッセージを支える物語の内容はこうです。(適宜要約しています) 

 

砂漠に2つのオアシスがあり、東のオアシスには800人、西のオアシスには200人の住民がいる。

それぞれに住む民は、自分の暮らすオアシスのルールに従って生きなければならない。

 

東のオアシスのルールは「自分の幸せのみを切に願うこと」

西のオアシスのルールは「他人の幸せのみを切に願うこと」

 

その結果、それぞれの街の状態はどうなっているか。

東のオアシスは、公共のあらゆる場が汚れ、争いが絶えず、人間関係を作るのも難しい。道路は皆好き勝手に往来して危険極まりなく、他人に財産を奪われるのではないかと気の抜けない毎日を送らなければいけない。

一方、西のオアシスは、他の人のために頑張らなければいけないが、街のあらゆるところがとても美しい。人を喜ばせる歌や踊り、食べ物などが豊富にあり、皆仲がよく、協力し合って平和な街を創り上げている。

 

西のオアシスに住んだほうが幸せになれるのは明らかだ。

東のオアシスに住めば800人の中で自分のことを幸せにしてくれようとするのは自分一人しかいない。

しかし西のオアシスに住めば、自分のことを幸せにしてくれようとするの人が199人もいることになる。

 

世の人は誰もが幸せになりたいと願っている。それゆえ、自分を幸せにしてくれることを探して生きることになる。

ところがそんな便利なものは、そうそう見つけられない。だから、多くの人がなかなか幸せになれずに、この世はつまらない、楽でないと苦しむことになる。

 

一方で、世の中にはごく少数ではあるが別のものを探して生きている人間たちもいる。世の中の誰かを幸せにしたいと願っている人たちだ。そういう人たちにとってこの世ははこれ以上ないほど、楽しいことの多い、そしてチャンスに満ちた輝ける場所だ。

 

この世には東西オアシスのようなルールはない。

だから、どちらを選んで生きようが勝手だ。

ところが自然と人々はどちらかを選んで生きている自分を幸せにするものか、他人を幸せにするもののどちらかを。

 

③考察

いかがでしたでしょうか。

とてもシンプルな設定ですが、当時の私はこの本質的な示唆にハッとしました。

 

もどかしいのは、西のオアシスのほうが幸せになれそうだと誰もが頭でわかっていても、実社会では東のオアシスのルールで生きている人が多く、社会情勢が悪化するほどにその割合が増えていくことです。

 

特に今は、新型コロナウイルスによって、社会に「自分さえ良ければいい」と考えている人がどれだけ多いのかがあぶり出されました。

「自分は若者だから重症化しない」と街に繰り出す若者や、正義を振りかざして他者を完膚なきまでに攻撃することで心のバランスを保とうとする人などです。

 

程度の差こそあれ、私も東のオアシスのルールを無意識に選んで生きてきたと思いいます。

これまでは自分自身の心・体・経済の面倒を見るだけで精一杯だったからです。

周囲の人を支えるよりも、支えられてきた側面のほうが圧倒的に多かったと思います。

 

でも、「それではダメだ!!」と自分の内側から声が聞こえました。

こんなときだからこそ、他者の幸せを考え、自分にできることを探して行動しなければいけない、という強烈な衝動が湧き上がってきました。

 

お金がなくても、他者のためにできることはたくさんあります。

コミュニケーションを取ったり、役立ちそうな情報を共有したりするだけでも、十分他者の助けになるんです。

 

相手が本当に困っていることが何なのか。

その本質を掴めば、金銭的支援以外にもできることがたくさんあることに気がつけます。

 

理屈でうまく説明できませんが、コロナウイルスとともに生きる時代は、自己防衛本能が勝って自己の利益だけ追求するよりも、自分の持っている少ない資源を他者と分かち合いながら生きていこうとする人のほうが生き延びられる時代のような気がします。

 

仮にそうでなかったとしても、私は西のオアシスのルールを選び、気高く生きて、後悔のないように死にたいと強く思います。

 

 

この本では、この教えをはじめ、他にも8人の賢者が生きていく上での本質について、非常に重要な示唆を与えてくれます。

 

混沌とした世の中ですが、不安や情報の渦に飲み込まれるのではなく、この本を手にとって自静かに分と向き合ってみてはいかがでしょうか。

こんなときだからこそ、自分の内側を見つめることで人生の本質に気づくことができるかもしれません。

 

最後に、この本を書いてくださった喜多川泰さんに心からお礼を言いたいと思います。

素敵な本を世に出してくださってありがとうございます。

コロナを乗り超える「想像力」と「行動力」

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新型コロナウイルスが深刻な状況になってきました。

 

明日政府から緊急事態宣言が出されるので、7都道府県の自治体からも順次対策を打ち出されることになります。

 

日々のニュースを見ていても、キャスターやテレビ局の緊迫感から事態が切迫していることが伝わってきます。

 

今日は趣向を変えて、今の情勢だからこそ求められる意識について書いてみます。あまり政治的なことは書かないつもりですが、これは世界の、人類の一大事なので踏み込んだ発信をしたいと思います。

 

  

①「自分の影響力」を想像する力

ニュースを見ていると、「自分は若者だから重症化しないだろう。」「仮に自分が感染しても、一人暮らしだから誰にも迷惑はかけない」などという理由で外出している若者が散見されます。

 

この、「自分さえよければいい」という発想、そして精神的未熟さが、感染を拡大させている気がしてなりません。無症状の感染者が感染拡大のキーになっている可能性が高いと思うからです。

 

外出を自粛するのは、「自分が感染しないため」ではなく、「自分が無症状の感染者だと疑い、周囲にうつさないため」ではないでしょうか。

 

「自分を感染から守る」だけでは不十分です。

事態の収束は、真の意味で自分を感染から守るためにも、「自分の周りの人を、社会を守る」という意識でどこまで行動できるかに懸かっています。

 

 

②指導者の強烈なメッセージ

想像力の欠如している、ある意味未熟だと思える人たちの行動を制約するには、ビジョンと危機感で国民を動かせる強烈な指導者のメッセージが必要です。

 

ドイツのメルケル首相の演説に、こんな言葉がありました。

 

「開かれた民主主義に必要なことは、私たちが政治的決断を透明にし、説明すること、私たちの行動の根拠をできる限り示して、それを伝達することで、理解を得られるようにすることです。」

 

「旅行および移動の自由が苦労して勝ち取った権利であるという私のようなものにとっては、このような制限は絶対的に必要な場合のみ正当化されるものです。」 

 

ドイツという国が抱える歴史的背景もあり、きっと多くの国民の心に届いた言葉ではないかと思います。メルケル首相は、ヒトラー時代のドイツの行いをドイツがずっと背負っていかなければいけない宿命として受け止め世界に謝罪の意も発するなど、ビジョンと統率力のある指導者だと感じています。

 

今の日本政府の指導者にそれがなくても、私たち民間の人間の誰かでも、影響力を持つ人には責任感を持って強いメッセージを発し、周囲の人を動かしてほしいと思います。

 

 

③自分にできることを探し、行動に移す

今、事業で大打撃を被ったり失業したりして生活に困窮している人が大勢います。

すべてを国に期待せずに、自分が周囲の人のためにできることはないでしょうか。

 

お金に余裕がある企業や個人は、そのお金を使って誰かを助けることはできないでしょうか。

所得の再分配は、何も国だけの仕事ではありません。

たくさん稼いだなら、自分が問題意識を持った社会問題について事業を起こしたり寄付をしたりするのも立派な所得再分配です。

 

お金に余裕がなくても、マスクを1枚、隣人に分け与えられないか。
食材の買い置きをしてあれば、スーパーに行くのが大変な近所の高齢者に食材を分け与えられないでしょうか。

 

厚生労働省のコロナ対策本部の職員、医療従事者はきっと命を削りながら寝る間も惜しんで働いています。

直接的な支援は難しかったとしても、彼らの仕事を増やさないよう一人ひとりが責任ある行動をとること。

そして、彼らに応援と感謝のメッセージを送ることくらいなら、今すぐにでもできます。

 

 

この難局を乗り切るためには、自分という人間一人の生存本能に負けてはだめです。

自分自身が生き延びるためにも、周囲の人のことを考えて行動することが必要です。

 

一人ひとりが自分だけのことを考えて行動すればするほど、感染は拡大し、医療は崩壊し、死者数の爆発的増加につながるような気がしてなりません。

 

仮に自分本位の行動を続けたとして、自分一人だけ生き残って人は幸せになれるのでしょうか?

いえ、きっと自分が幸せでいるためには愛する人の存在が欠かせないはずです。

 

 

こんなときだからこそ冷静になりましょう。

自分と、愛する人と、社会と、人類を守るために、「自分を取り巻くより大きな視点」から考えて自分の行動を決める必要があります。

 

これが最近感じている私の問題意識です。
私も自分自身に言い聞かせながら、こんな自分でもできることはないか、探して行動に移していきたいと思います。

 

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参考URL:コロナウイルス対策についてのメルケル独首相の演説全文

 

https://www.mikako-deutschservice.com/post/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9%E5%AF%BE%E7%AD%96%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%83%AB%E7%8B%AC%E9%A6%96%E7%9B%B8%E3%81%AE%E6%BC%94%E8%AA%AC%E5%85%A8%E6%96%87

※何人かの方が和訳を載せてくださっていますが、わかりやすかったので引用させていただきました。

ちゃんと感じる②

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以前の投稿で、「ちゃんと感じる」という詩を書きました。

 

ちゃんと感じる - ココロを自由にするブログ ~自信を育て、しなやかな自分を創る~

 

 

極限の疲弊状態から回復しようと、最近一人完全オフライン・低刺激生活を送ってみて気づいたのは、普段いかに「感じること」ができていないかということ。

 

ゆっくり過ごしている時間に、普段感じているけど味わえていなかった感情が呼び起こされるような感覚がありました。

 

 

 

テレビもスマホも音楽も断っていると、最初は様々な思考が頭を駆け巡ります。

 

ついいつもの思考パターンにはまってスマホを触りたくなったり、過ぎた嫌な出来事を思い出したり、来週の仕事の心配が頭をよぎって憂鬱な気持ちになりかけたり。

 

 

でも、そうした思考に没入することなく、そんなことを考えている自分を「観察する」ような気持ちで眺めてみると、「そうか、自分はこんなにも色々なことで不安なんだ」と気づきました。

 

そして、不安な自分を「良い」「悪い」とジャッジせずに「そうか、不安なんだな」と認識しただけで、不思議と心が落ち着きました。

 

 

 

幼少期に厳しく育てられたり大きなストレス体験をした人は、脳内の「扁桃体」という部位が肥大化し、外部からの刺激にとても敏感だそうです。

扁桃体が過去のストレス体験を即座に検索して、同じ環境を避けようとするから。

 

そうして「発信」より「受信」、「自己表現」より「他者受容」にバランスが寄っていると、今の超情報社会では絶えず情報を受信し続けてしまいます。(危険が迫っていないか?とずっと脳内検索している感じ)

 

受信した情報を処理する(危険が迫っていないか脳が判断する)のに忙しくて、自分の心や身体が感じていることに耳を澄ませる時間がありません。

 

 

 

ちゃんと感じること。

 

自分が感じたことを見つめること。

 

それだけで、生活は少しだけ豊かになるのかもしれません。

ちょっと回復

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こんばんは。

 

前回投稿の後あれこれ試行錯誤した結果、心身の辛さのピークは少し過ぎました。

 

前回記事で書いたこの2つの取り組みがかなり効果を発揮しました。

 

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①とにかく触れる情報量(人とのコミュニケーション、テレビやスマホ、本など)を減らす

 

②散歩など極力運動をして、心地よい疲労感を得て眠りにつく

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特に①の効果は絶大でした。

テレビとスマホ、音楽、人とのコミュニケーションを断ち、無音の家の中でゆっくりしました。

 

ゴロゴロしたり、ストレッチをしたり、少し動く気が起きたら溜まっていた洗い物や洗濯をしたり。

 

そうして土曜日を過ごすと日曜日には身体が軽くなり、全身の痛み(過労気味のときに出る)が弱まって、少し動けるようになりました。

 

 

そこで②を実践。

隣駅のカフェまで歩き、空を眺めながらカフェラテを飲んでボーッと2時間ほど過ごしました。

 

仕事の方が頭をちらついても、「考えない!」と言い聞かせて思考から排除しました。

 

 

 

休職した当時より、疲れ切ったときの対処法の引き出しが増えているのを感じます。

自分の心身の状態も、少しずつ正確に把握できるようになってきました。

 

とはいえ、また無理をするとあっという間に倒れそうなので、「もう頑張れない」と思うかなり手前でストップをかけられるようになるのが次の課題です。

 

 

 

…と、ここまで書きつつ、実は最近頭の中はコロナウイルスの動向でいっぱいです。(外の世界に気を取られて気持ちが落ち込みにくいのかも)

 

世界経済の動向、労働者の生活補償、オリンピック、ロックダウン…色々考え、企業人としても一個人としてもできる限りの備えをしたいとは思っています。

 

今回のことで人間の無力さをひしひしと感じますが、誰もが不安と恐怖にさらされている今だからこそ、自分の人生にとって本当に大切なものを見つめ直すチャンスなのかもしれません。

正念場

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前回の記事を書いて以降、身体の不調で一週間おきに2、3日会社に行けなくなる状態が続いています。

 

今週も月、火と2日ダウンしてしまいました。身体の重さと痛み、力の入らなさで、外出すら難しい状態でした。

 

今日は少し体調が良いので、今の状態を冷静に見つめてみたいと思います。

 

 

人によって出方は違いますが、私の場合、心身の疲弊が進むとこんな順番で症状が出ます。

 

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■ステージ1:疲れ始め

・全身が重だるくなる

・朝起きるのがつらくなる

・仕事の処理速度が下がる

・本や新聞を読む気が起きなくなる

 

■ステージ2:疲れが身体に現れる

・身体の節々(特に背中)が痛くなる

・夜寝る時間が遅くなる

・寝ても途中で目が覚めてしまう

・お金遣いが荒くなる

・仕事前のヘアスタイリングをサボるようになる(やる気力がなくなる)

 

■ステージ3:倒れる寸前

・ステージ2の身体症状がさらに強まる

・食欲が落ちる

・気分の落ち込みが激しくなる

・身近な人への要求が高まり攻撃的になる

・人に頼ることができなくなり抱え込む

・1人になりたくなる(周囲との関わりを断とうとする)

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今の時点でステージ3にほぼ当てはまっていて、ここから回復できるかの瀬戸際にいる気がします。

 

こうして冷静に分析できるだけまだ余裕があるようにも感じますが、心身のバランスを崩すと感性・理性のバランスがグッと理性優位になり、頭が働きすぎる傾向があるので、その表れのような気もしています…

 

 

ここからは、これまでの休職経験から学んだことを実践して、なんとか回復基調に乗るように努力したいと思っています。正念場です。

 

パッと思いつくところでは、こんなことを実践していこうと思っています。(赤字部分が重要)

 

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・とにかく触れる情報量(人とのコミュニケーション、テレビやスマホ、本など)を減らす

・何もせずボーッとする時間を多く持つ

・規則正しい生活リズムを守る

・三食きちんと栄養のある食事を摂る

・散歩など極力運動をして、心地よい疲労感を得て眠りにつく

・極力家にこもらない(私の場合、一日中インドアで過ごすとストレスが溜まり気分が落ち込む)

・残業はしない(残業しないとできない仕事は諦めてやらない)=仕事の責任を果たすよりも心身の健康をとる

・なるべくゆっくり話す(早口で話すと余計に理性優位になりがちだから)

・感性を取り戻させてくれる、好きな音楽に触れる

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何も対策を取らずに流れに流されると100%長期リタイアしてしまいそうなので、なんとか踏ん張りたいと思っています。

ちょっと休みたい

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昨年11月から多忙を極め、最近とても幸福度が低いです。

 

「自分をよい状態に保とう」と心がけることすらできず、

 

そもそも「自分の"良い状態"」が何なのかとか、今の自分の状態がどうなのかもわからないまま、この数ヶ月を過ごしていました。

 

 

 

そんなとき、親しい友達から

「相当疲れてるね。大丈夫?」

「10年見てきて思うけど、もしかしたらサラリーマンみたいな9時17時で、組織の中で働くのが合わないかもしれないね。」

「もっと感性に振り切った生き方や働き方をしたほうが、自分自身も周囲も幸せになるかもしれないよ。」

と言葉をかけられました。

 

どれも、心に深く突き刺さりました。

 

と同時に気づきました。

 

自分はこの生活に疲れているんだ…と。

 

 

 

仕事の方では、最近複数の人事系システム導入プロジェクトが走っており、手作業が残っていた領域に自動化・効率化のメスを入れています。この仕事が人と人の調整の連続で想像以上にキツい。

 

 

 

世の中の多くの人が思っているだろうけど、頭を使いすぎて、しばらくボーッとしながら毎日を過ごしたいと心底思います。

 

天気の良い日は、屋外で空を眺めながらコーヒーでも飲んで過ごしたい。

 

夕暮れ時は、黄昏ていく空を眺めながら冬の空気を体いっぱいに吸い込みたい。

 

 

 

そういう、人間にとって当たり前の五感を取り戻す作業が、今あまりにも不足しているなと感じます。

 

 

 

自分を疲弊させる情報、インターネットとの繋がり、スマホ、人との関わり…いろいろなものを削ぎ落として、少し休みたい。

 

 

 

一時的なものだと思いますが、一生懸命目の前のことを頑張っているのに、自分が幸せに生きるために必要なものが見えなかなって苦しい今日この頃です。

2020年のはじまり

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新年あけましておめでとうございます。

 

 

2019年は世の中も自分自身も、色々なことがあった一年でした。

 

天皇陛下の即位、台風15号・19号による甚大な被害、消費税増税、キャッシュレス化の推進など、一国民として生活が変わるような環境変化も多くありました。

 

 

私自身は、実に6年ぶりに、休職することもなく正社員として一年間働くことができました。

 

2019年は「積み重ね」をテーマに、休職や転職などでこれまでなかなか積み上げてこれなかった「一つの職場・仕事で一人前になること」を目標にしていましたが、この目標もある程度達成できました。

 

4月に過労で倒れはしたものの、逃げずに、なんとか休職もせずに耐えたという意味では自分に100点をあげたいと思います。

 

 

 

一方で、気がつけば今年33歳になり、自分はこのままではいけない、もう一段成長してステージを上げなければいけないという危機感にも突き動かされています。

 

今年は、今まで自分の内側に向いていた関心の矢印を外側に向け、社会の動きに対する洞察を深め、教養を身につけ、自分なりの社会観・人間観を育てる一年にしたいと思います。

 

目の前の仕事は一生懸命やりながらも、会社とは別の場所で自分自身と社会の接点を作り、時代の変化を肌で感じ、今後の社会で必要とされ、自分自身の人生も充実させられるような領域の経験を作っていく予定です。

 

 

 

ますます変化の激しい世の中ではありますが、人間らしさを大切に、また一年自分なりに歩みを進めていきたいと思います。

 

このブログを訪れた皆さんにも、心温まる、優しい時間の多い年になりますように。

 

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

ひろびろ

弱さは強さ

何度か観ているこの映画。

週末に久しぶりに観て、かなり心が救われた。

 

ツレがうつになりまして。

ツレがうつになりまして。

 

 

コールセンターで働く生真面目な性格の幹夫(堺雅人)がうつ病を発症し、妻の晴子(宮崎あおい)がそれに向き合いながら、2人でうつ病を乗り越えていくという物語。

 

自分の性格にも幹夫と似た要素がある分、随所で幹夫のつらさに痛く共感できた。

 

こんなにボロボロになるまで頑張ってしまった幹夫と過去の自分が重なって、色々な言葉をかけてあげたくなった。

 

自分がたまらなく嫌になるときってあるよね。

 

強い言葉で否定されて心を閉ざしたくなるとき、つらくてもう消えてしまいたくなるときってあるよね。

 

 

 

自分自身も最近、仕事がつらくて仕方がなかった。

 

自分の性格や繊細さが仕事上マイナスに出る場面が続いて、叱責されたり性格を否定されたり人に迷惑をかけたりしたことがつらかった。

 

 

 

それでもこの映画は「傷ついた経験は、後々自分の糧となり、自分の再発見につながること」「つらい経験も、いつか同じように苦しんでいる誰かの役に立てる引き出しになること」を教えてくれる。

 

 

 

繊細さや傷つきやすさを抱えた人は、たしかに生きづらいかもしれないし、生きるのが苦しいかもしれない。

 

でも、その痛みを乗り越えたとき、その経験は同じように傷ついている誰かを救う力になるんだな…

 

弱さは時として強さになるんだ…

 

そう思えたら、ふっと心が楽になった。

 

 

 

やっぱりこの世で一番つらいことは「自分で自分を受け入れられないこと」なんだと思う。

 

逆に自分で自分を肯定して、受け入れることができたら、心に栄養が行き渡り、少しだけ前向きになれるような気がする。

 

 

 

不器用ながらも懸命にうつ病と向き合う幹夫、そしてその痛みに共感できなかったとしても幹夫を愛し、全力で支えようとする晴子の姿に本当に胸を打たれた。

 

観終わった後に、心が温まり、未来に希望を感じられる作品です。

正しいこと

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誰から見ても正しいこと

 

この世はなぜかそれが通らない

 

 

 

自分に、人に、正直にまっすぐに向き合いたいと思うけれど

 

人としての尊厳すらも守られないくらい

 

現実は何かがおかしい

 

 

 

そしてそれがとても悲しい

 

当事者になるのも、人が傷つくのを見るのも

 

 

 

 

 

子どもの頃に夢中になった映画やアニメのように

 

矛盾のない、まっすぐな世界は

 

残念ながら現実には存在しない

 

 

 

 

子どものように純粋に、まっすぐに生きること

 

自分や人に嘘をつかないこと

 

単純なことなのにすごく難しい

 

 

 

 

 

それでも、あきらめたくはない

 

自分の信念やあり方を曲げずに、

 

魂を売ることなく、

 

大切なものや人を守ること

 

楽しい人生を送ること

 

 

 

難しいけど、両立する方法はきっとある

 

子どものようにまっすぐでいる部分と別に、

 

大人の頭で冷静に考える

 

 

 

 

正しいことではなく、

 

不条理なことが通ってしまうのが今の世界

 

その現実は変えられない

 

悲しいけど

 

まずはそれを受け入れるしかない

 

 

 

そして、受け入れることができたら

 

その現実の荒波を

 

転覆することなく航海し続ける方法を考えてみよう

 

 

 

 

 

自分と同じことで苦しんでいる人は沢山いる

 

一人じゃない

 

どこかでつながっていると信じて

 

少しずつ、少しずつ。

 

できることを積み重ねていこう

自分に向かう時間

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忙しいときって、

 

自分の外のことに意識が集中してる

 

 

 

アンテナを張って、

 

外からの情報集めて、考えて、

 

どうすればいいかを考え続けてる

 

 

 

そんな風に息つく間もない毎日が続くと

 

見えないところで、大切な部分が

 

少しずつすり減っていく

 

 

 

 

みんなきっと、自分が思っている以上に疲れてると思う

 

 

 

 

 

だからこそ、自分に意識を向ける時間が必要だと思うんだ

 

たまには内側に向かうことで、

 

いろんなバランスがとれる

 

 

 

たとえば、私にはこうやって文章を書く時間

 

書くことを通じて、自分の感性に耳を澄ましてる

 

自分自身にアクセスしようとしてる

 

 

 

頭で考えたことじゃなく、

 

自分が意識の奥の方で感じてる感覚、

 

純粋に感じていることってなんだろう?って

 

 

 

人は、自分自身から離れていくほど

 

疲れるし、つらいものだと思う

 

 

 

内側を向くのは悪いことじゃない

 

それは、自分自身に誠実であろうとすること

 

 

 

外に向かうことばかりが良しとされがちだけど

 

自分自身との距離が離れすぎないように 

 

たまには前向きに内側を向こう

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