何のために生きるのか
今日は抽象度の高いお話。
世の中にはありとあらゆる情報が出回っていて、色々な人が本当に色々なことを考えて生きているけど、「結局のところ、人は何のために生きるのか?」とよく思います。
誰もが一度はぶつかるであろうこのお題、今のあなたはどう答えるでしょうか。
ちなみに僕自身は、この問いに最初にぶつかったのが中学2年生の進路決めのときです。
それ以降、何度も何度も同じテーマについて考え続けていますが、齢30になってようやく、ある程度の「答えの形」が固まってきたこともあり、一度言葉にしてみたいと思います。
答えはない。「自分がどう思うか」がすべて。
先程の問いにはきっと人の数だけ答えがあって、それらは一人一人の「あり方」や価値観に支えられているでしょう。
「幸せになるため」
「世界から貧困をなくすため」
「人の命を救うため」
「お金持ちになるため」
どんな答えでも、その答えが本人の人生をより彩り豊かに、より濃いものにしている限り、それは正解なんだと思います。
他人と自分の答えを比較する必要はないし、どんな生き方でも等しく尊いと僕は思います。
何のために生きても自由です。
どんな生き方をしても自由だと思います。
ただ、1つだけ思うことは「自分なりの答え」を持っていたほうが間違いなく、自分の人生は豊かになるということです。
人生に限らず、仕事も、プライベートも、すべての時間は「自分なりの目的や目標を持つこと」で格段に濃くなります。
仕事で言えば、他人から与えられた無味乾燥でつまらない仕事も、自分なりの意味・意義や目標を見出した時点で、有意義な楽しい仕事に変わるはずです。
「何のために生きるのか」への僕なりの答え
ちなみに僕は、「何のために生きるのか」という問いに今ならこう答えます。
「沢山のものを見て、沢山のことを経験して、それらについて深く考えて、多くのことに気づき、学ぶため。言い換えると、生まれつき持っていた精神の水準より一段高い水準まで精神を高めて死んでいくため。」
死ぬときには、少なくとも形あるものをあの世に持っていくことができません。
最後に「自分の人生がよいものだった」と思えるかどうかは、自分が過ごしてきた時間の質によるでしょう。
- 自分が本当に大切にしたいものを大切にしたか。
- 見たいと思うものを見て、経験したいと思うものを経験したか。
- 悔いのないくらい、自分自身や家族、人と向き合ったか。
- 物事を深く考え、洞察し、沢山の本質を見出すことができたか。
- 自分の死んだ後のことを考え、一つでも多く遺したいものを遺すことができたか。
こうして「死ぬ瞬間」をリアルに想像し、自分の人生を意識的に意味付けてから、僕の関心の対象は明らかに変わりました。
恋愛、結婚、趣味、仕事、ファッション、テレビ、家、車、人付き合い。
人生を形作る要素の中で、身に纏うもの、お金といった形あるもの、流行、社会を形作る情報といった形のないもの。
いずれにせよ、「時代によって価値が変わるもの」に相対的に興味がなくなっていきました。
それよりも、時代が変わっても不変の価値を持つ「どんな状況にも対処できる自分を作ること」を目的に、本当の知識や賢さを身につけることに価値を置くようになりました。
このブログのテーマを「心を自由にする」と置いたのも、心の囚われをなくし、自分と他人を自由にすることが精神性を高めることにつながると考えたからです。
このブログでも僕が直面した人付き合いの悩みや心の問題など、一見ミクロに見える問題も沢山取り扱っていますが、そのすべての根底に流れているのは「どんな状況にも対処できる、しなやかで強い自分を作りたい」という目的意識です。
答えが見つからずに悩んでいる人に共有したい言葉
色々書きましたが、最初に言ったように、何に価値を感じるかも何のために生きるかも自由です。
そんな中、色々考え思考錯誤した結果、僕という一人の人間が辿り着いた結論らしきものがこれ、ということを書いてみました。
思えば、僕が真剣にこの問いと本当の意味で向き合ったのは高校生3年生のときでした。
僕はなんとなく無意味な毎日を過ごしていた18歳の秋に、最愛の親友を亡くしました。
人生に目標を持ち、目的を見出そうとしていた親友が死に、何も考えずに無為に生きている自分が生き残る。
そんな現実に直面したときから、僕はずっとこの記事のタイトルと向き合っています。
考え始めた出発点は自分が生き残ってしまった罪悪感でしたが、いつしか、人生の意味を考えることで自分自身の人生が濃密になり始めました。
きっとこれからも、その友達の死を無駄にしないために、自分の人生をより有意義なものにするために向き合い続けていく問いなんだと思います。
最後に、中学2年生のとき、進路に悩み人生の目的が見出せずに苦しんでいた僕に、その友達がかけてくれた言葉を共有したいと思います。
「"何のために生きるのか" を考えて、逃げずに向き合っているお前は本当にすごいと思うよ。
周りを見て見なよ。みんな、そんな深い問いにぶつかることなく、なんとなく目の前の好き嫌いで自分の人生を決めてるんだよ。
そんな中、こんなに大切な問いに真剣に悩んでるお前の姿勢は本当に尊いと思う。
その問いに対する答えは俺自身もわからないし、いいことは言えないけど、今のお前が素晴らしいってことだけは忘れないでいてほしい。」
ここでも、何より尊いのは「自分の人生にどう向き合っているか」という"あり方"だと、僕は思います。