ココロを自由にするブログ ~自信を育て、しなやかな自分を創る~

不安に振り回されず、自由に生きる。3度の休職を乗り越えた筆者が考える、心の自由を手に入れ、幸せな人生を歩むための、考え方と行動のヒント集。

変化を意識的に減らすこと

こんばんは。
忙しくてなかなか記事を書く時間が取れず、また少し間が空いてしまいました。

仕事の方は順調で、今の職場で派遣として働き始めて2ヶ月経ちました。
これまでの職場より仕事のスピード感がかなり遅く、難易度も量も控えめで、余裕を持って働けています。
12月から正社員に…という話も出ていますが、まだどうなるかはわかりません。

さて、今日は頑張りすぎて自滅しないためのポイントについて一つ書いてみたいと思います。
不安な気持ちが強く、ついつい自分の気力・体力以上に頑張ってしまう人に読んでほしいです。

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新しい環境に飛び込んだ直後に陥りがちな構図

就職や転職のように、新たな組織に飛び込んだ後というのは、慣れるまで毎日不安な気持ちで過ごすものです。

私の感覚では、組織に入って1,2ヶ月は、「今度入ってきた人はどんな奴なんだろう」と周囲に注目され、そこで定着した第一印象はなかなか後から覆りません。

だからこそ、「最初が肝心!」と肩に力が入って最初の数ヶ月を過ごすわけですが、「できない奴だと思われたくない」とか「高く評価されたい」など、気負えば気負うほど、今の自分が足りないことだらけのような気がして焦ってしまうのが真面目な人あるあるです。

実際に私も、今回初めて自分自身が当事者として人事の仕事に就いたので、
「給与計算をイチから勉強しなきゃ」
「あれ、社会保険についても知らないことだらけだぞ」
「やばい、また倒れないようにメンタルヘルスの勉強もしたい」
とか、転職当初は焦りに焦っていました。

そうして不安な気持ちが大きすぎると、時として自分の体力・気力の限界を超えて頑張りすぎてしまうことがあります。

周囲に期待値を確認すれば、それほど大きなハードルは課されていないはずなのに、自分で自分に「こうでなければダメ!」と高すぎるハードルを課して自滅してしまうパターンです。

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自滅しないためには、変化を意識的に減らすこと

そうならないためには、意識的に変化を減らすことが重要です。

一日の大半を占める「仕事」の中で、新しい職場、新しい通勤経路、新しい人と仕事に囲まれるだけで、相当な変化の量とストレスにさらされています。

その変化に適応しようとするだけでかなりのエネルギーを消耗するはず。
なので、そこに自らの手でさらに変化(何かの勉強を始めたり、人に会ったり)を増やしてしまうと、ストレス量は倍増し、あっという間に疲れてしまいます。

「どれだけの変化・ストレスを受容できるか」というキャパシティは人によってかなり差がありますが、私のようにストレス許容量の少ないタイプ・変化に弱くストレスを感じやすいタイプは、自分のコントロールできる範囲で変化を減らす努力が有効だと思います。

とはいえ、不安な気持ちから行動を起こしているときというのは、自分の心身の疲れや、自分のストレス許容量のどこまでストレスが溜まっているのかに気づきにくい、という難しさはあります。

私の経験上では、そこに気づけなくなる前に、少しストレスが溜まり始めたくらいの段階で、「あれ?ちょっと疲れてるかもしれない」と気づくことができるかがポイントだと思います。

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重要なのは、優先順位をつけること

ちなみに私の場合、変化・ストレスの総量をコントロールする重要性に気づいてから、友人とのご飯・お茶の頻度を(本当は毎週予定を入れたいところを)月2回程度にセーブしたり、通勤時間での勉強をやめたり、一定の分野の勉強を「緊急性は低い」としてまったく手をつけないことにしたりしました。

と言いつつ、もう同じパターンで自滅するのはこりごり、と思いながら30歳になるまで実践できなかったのは、優先順位付けができていなかったからだと思います。

何が今の自分にとって必要なのか、何が不要なのか、を判断するためには、「そもそも自分はどこに向いたいのか」という目的や目標が必要です。

転職先の仕事で言えば、目標が「与えられた業務を少しでも早く一人前にこなせるようになりたい」なのか「今の職場で誰も持っていない専門知識を身につけて、自分の希少価値を上げたい」と置くのかによって、やるべきこと・やらなくていいことはガラッと変わります。

  1. 自分の向かいたい方向(目標・目的)をハッキリさせて、
  2. 今やること・やらなくていいことの優先順位をつけ、
  3. 今やらなくていいことは捨てる(=変化・ストレス量を意識的に減らす)

この3ステップを意識することで、不安な気持ちに振り回されて自滅することなく、良いコンディションを保ちながら働いていけるような気がします。

ブログ運営の舞台裏

こんばんは。
お盆休みが終わり、子どもたちは夏休みもあと10日。
年々、時間が経つのが早く感じるようになってきました。

昨日、新卒で入社した会社の後輩(というか友達)と2年ぶりに会い、お互いの近況報告をしました。

彼はこのブログを読んでくれているのですが、思いがけないことを言われたので今日はその言葉を題材に書いてみます。

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「ブログだけ見ると、スーパーポジティブな人に感じた」

その友達が僕に言った言葉がこれでした。
普段、自分の書いている文章で読み手がどう感じているかを聞く機会は少ないので、とても新鮮な意見でした…

でも実際は、スーパーポジティブでもなんてとんでもない。
本当は逆です。

不安や恐怖に振り回されて、悲観的な考えから抜け出せなくなることなんてしょっちゅうです。
実際は「ポジティブ3:ネガティブ7」くらいの割合で気持ちは揺れ動いています。

心療内科で「過剰適応」「自律神経失調症」などと診断され、休職せざるを得なくなった最大の理由も、不安な気持ちに歯止めがかからず、自分の体力・気力を超えて働きすぎてしまったことが原因でした。

だからこそ、
「不安な気持ちをどうコントロールしていくか」
「どうやって心を安定させて生きるか」
色々と試行錯誤しながらヒントを書き溜めていこう、と思ってこのブログを始めました。
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(遠くにうっすら富士山が見える)
 

気持ちがネガティブからポジティブに向かうプロセスを書きたい

なので、私でも気持ちが落ち込んでいるときはブログを書こうなんて思えないし、文章を書くエネルギーも湧いてきません。

ちょっとしたことで落ち込むこともあるし、不安な気持ちが増幅したり、焦る気持ちに歯止めがかからなかったりで、四六時中頭を働かせてしまうことも多いです。
疲れていて、何もやる気が起きないことも日常茶飯事です。

そういうときは、無理やりポジティブに考えないように注意しています。
自然な感情が「前を向けない」と言っているのに、理性で無理やり前を向かせようとするとむしろ心を疲弊させるからです。

yudaism.hatenablog.com

気持ちが落ち込んだときは心が自然と前を向けるようになるまで、体が疲れたときは体が回復して自然と動き出したくなるまで、待つことにしています。
動物で言えば冬眠、植物で言えば地中に深く根を張っているのだと言い聞かせて、そのときの自分にできることをして、ひたすら待ちます。

このブログは、そうして少しずつ気持ちと体が回復してきたときに書いています。
パワーダウンするたびにそうやって心身が回復するまで待つから、とても毎日ブログ更新なんてできません…。

もしかしたら、「不安なときの気持ちも、ありのまま文章にぶつける」というスタンスもあるかもしれません。
でも私は、人の目に触れる場所に文章を書くからこそ、できるだけ読んでくれる人の役にも立てるような内容を綴りたいと思っています。

なので、このブログで切り取っている私の思考は、あくまで「ポジティブ3、ネガティブ7」のうちポジティブ寄りの世界を切り取ったものだと思ってください。笑

最終的には、なるべくポジティブもネガティブもないフラットな状態で心を安定させられるのが私の目標です。
まだまだ人生は長いので、少しずつ成長していきたいと思います。

体を動かしてバランスをとる

こんばんは。

前回の記事で書いた「星空を見に出かける」を、今夜も実践してきました。
今日は、歩きながら思ったことを短めに書きます。

yudaism.hatenablog.com

 

心と身のバランス図

今日あらためて思ったのは、体を動かすことの効能です。

心配性で、不安な気持ちに支配されがちな私のようなタイプは起きている間ずっと頭を働かせているのですが、これは想像以上に人を疲れさせます。

頭と心を使いすぎて崩れた「心(しん)」と「身(しん)」のバランスが、体を動かすことによって元に戻ります。

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怖いのは、心・頭の疲労がたまり続け、この図の左端にいる時間が長くなると、何をやっても右側に戻れなくなる(バランスを取り戻せなくなる)時期が訪れることです…。

そこまでいくと、回復には想像を絶する時間がかかります。
心の疲れが原因で休職したこと経験のある人の間では、「元の状態まで回復するには、心の疲れが常態化していた期間の2倍の時間がかかる」とよく言われます。

そうなる前に、この図を意識して、こまめにバランスを取ろうと心がけることが大事かなと思います。

自分なりの方法を見つけることが大事

私は直感的に自分のストレス状態を把握して自然とストレス解消行動を起こせる器用なタイプではないので、常に自分のストレス状態に気を配って、こうして人工的に(ある意味この領域まで頭を使って)、意識的にストレス解消をしていくしかなさそうです。

直感的にストレス解消行動を起こせる人。
分析的に考えることで、意識的にストレス解消する人。
分析的に考えようとすると、逆に思考のドツボにはまってしまう人。

人によってタイプは様々なので、誰かのストレス解消法や、ストレス対処の考え方を聞いても、ある意味「ふーん」くらいに思っておくのがいいかもしれません。笑

私自身は深く考え込まず、「なんとなく」の感覚で色々なことが出来てしまう人を羨ましく思うこともありますが、不器用な分、人一倍物事を考えることで世界がより細かく見えると思って、自分の性格と付き合っていくつもりです。

星空を見に出かける

最近、夜の散歩に凝っています。

今の季節は星もよく見えるので、星を見に暗い場所を探して歩いていきます。

よーく目を凝らすと、星にも赤や青、白などの色があって、「そういえば小学校の理科で、星の表面温度によって色が違うって習ったな…」なんて思い出したりしています。

この時間が精神衛生上とても良い効果を発揮しているので、今日は少しだけその紹介をします。

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ポイントは、スマホを家に置いていくこと

散歩のときは、スマホは家に置いていくことにしています。

なぜかというと、スマホがあるとつい他のことに気が散ってしまうからです。
LINEのメッセージが届けば開いてしまうし、考え事をすればメモしたくなってしまうし、何も用がなくてもついついニュースを見てしまったりします。

では、スマホを持たないと何が良いのか?
僕は、2つのメリットがあると思います。

①五感に集中することで、リフレッシュできる

一つは、五感の感度が増すことです。

何かに気を取られているとき、頭で何かを考えているときというのは、その分、五感(視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚)が鈍くなります。

スマホに気を取られているときは、意識が過去や未来に飛んでいます。(この状態を「マインド・フルネス」の対義語で「マインド・ワンダリング」と呼ぶそうです)

散歩中の風が頬を撫でる感覚や、木や植物が放つ緑の匂い、きれいな星を見たときの感動が薄らいでしまう気がするんです。

スマホを家においていくだけで、今、この瞬間に目の前にある素晴らしいものを100%味わうことができると気づいてから、散歩の質は格段に上がりました。

②余計な思考を遮断することで、エネルギーをセーブできる

もう一つは、スマホを持たないことで、余計な思考を遮断できるからです。

「何はなくとも、スマホを触る」ことによって、人の頭は勝手に思考をスタートしてしまいます。
文字情報に触れることで、脳はその情報を処理しようとするからです。

一日中情報に触れ続け、それを処理し続けることで消費するエネルギーは想像を絶します。

情報社会と言われて久しいですが、僕たち現代人の心は「情報に触れて続けていないと不安」と感じてしまうような、一種の依存状態にあります。

誰もが心の底にある不安、空虚さを埋めるためにスマホを触る。
その一方で、そんな人々の心を見透かしたように、様々な人が、色々な意図を持って情報をスッと差し出してきているのが今の社会です。

目的を持った主体的な情報収集でない限りは、どれだけ情報に触れたところで、永遠に心が満たされることはありません。

僕たちは早くそのことに気づいて、明確な意思と目的を持って情報を遮断し、思考の主導権を取り戻さなければいけないと感じています。

最初はスマホから離れると不安でソワソワしますが、慣れると「何もしていないけど充実した時間だった」「スマホがないほうが疲れない気がするな」と思えてくるはずです。

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夜の星空散歩がもたらした効果

この方法で週に3日ほど星空散歩を続けていたら、最近明らかに寝付きが改善し、眠りも深くなりました。

一回の散歩で30分~1時間くらい歩くようにしていますが、家に帰る頃には体が気持ちのいい疲労感が残り、それでいて頭がスッキリしています。

現代人は、日中は仕事で頭をフル回転させているので、
感覚 - 思考
右脳 - 左脳

の構図で言えば、明らかに「思考」「左脳」にバランスが偏っています。

夜の手ぶら星空散歩は、「感覚」「右脳」を活性化して、偏ったバランスを元に戻してくれる時間なのかもしれません。

同じ考え方で、他にもリフレッシュの方法はたくさんありそうです。

意識を「今」という瞬間に取り戻して、思考の主導権を握る。
情報に振り回されず、心満たされる時間を過ごすポイントの一つはここにあるのではと思います。

失敗を許さない日本の転職システム

新しい職場に来て3週間が経ちましたが、今のところ順調に来ています。

短期の仕事で繋いでいた時期を考えると、しばらく同じ場所で、同じ仕事に就いていられる安心感というのは本当に有り難いです。

さて、前回の記事の最後でこんなことを書きました。

また、今回の転職活動は、これまでで一番社会のリアルを肌で感じた経験でした。
「転職」というテーマで見た社会のシステム、そのシステムの中で生き抜く術、色々なものを感じ、色々なことを考えました。
それを切り出して一つ記事を書くつもりですので、そちらは近々また。

今日は、5月末から7月初旬にかけての転職活動で感じた、転職市場のリアルについて書きたいと思います。

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最大の衝撃:転職エージェントに面談を断られる

転職活動の初めに、転職エージェントに面談を申し込みました。
過去の利用経験から、「転職サイトで求人を探すよりプロに紹介してもらったほうが仕事選びの精度が高く、転職活動も早く進む」と考えたからです。

ですが、大手の3社に会員登録を済ませ面談を申し込んだところ、2,3日音沙汰なし。
1回目の転職では、登録後5分も経たずにキャリアアドバイザーから電話があり、来社面談を勧められたのに、です。

結局、2,3日後にこんなメールが届きました。 

ご登録いただきましたご経験をもとに(ご希望条件も含め)
弊社求人を確認させていただきましたが、
あいにく現在弊社にてマッチする求人がなく
すぐにご紹介が難しい状況です。

こうして3社とも体よく面談を断られました。
判を押したように同じ内容のメールが送られてきたことも驚きでした。

面談を断られた理由は、一つしか思い当たりませんでした。

それは、会員登録の際に直近の職歴(=雇用形態、年収、職種)しか入力欄がなかったことです。
契約社員、年収250万円、コールセンターのオペレーター」という時点で、「人材としての市場価値が低い」「面談する価値なし」とみなされたのだと思います。

転職エージェントは、市場価値の高い人材から優先的に面談をセッティングしていきます。
面談の方法も、市場価値の高い順に対面カウンセリング→電話カウンセリング、と序列が付けられています。

なぜなら、市場価値の高い人材ほど転職先での年収が高く、エージェントの懐に多く成功報酬が入る(←転職が成功すると転職先の年収の3~4割のフィーが転職先企業から支払われる)からです。

そう考えると、「効率よく利益を上げるための面談の優先順位付けを目的として、直近の職歴だけヒアリングしているのではないか?」という気がしてなりません。

これは、最近の転職エージェントならではの特徴だと思います。

会員登録の際、入力項目を少なくして登録のハードルを下げることで、登録会員数は増やすことができるでしょう。効率よく転職を斡旋し、利益を最大化できるのかもしれません。

でも、その一方で私のように直近の職歴が非正規雇用というだけで面談すらセッティングしてもらえない求職者が出ます。

効率よく利益をあげようとする論理は理解はできますが、その代償となるのは「一度正規雇用のレールから外れた求職者」です。
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一度ピラミッドの下に落ちると、上がるのは難しい

こうして、人材としての市場価値は、雇用形態×年収×職種+所属企業のブランドで簡易的に判断されます。

簡易的にスクリーニングされた後は、実際の実務能力、保有資格、人格なども関わってくるでしょうが、入り口はとにかく「雇用形態×年収×職種+所属企業のブランド」なんです。

入り口で一定の要件を満たさない限り、実際の実務能力や人柄など、その先は見てもらえません。

特に雇用形態でいうと、明確にこの図のようなピラミッド構造があります。
正社員でない時点で、転職市場での市場価値は著しく落ちます。

このピラミッド、上から下に降りることは簡単ですが、下から上に這い上がるのは非常に難しいことを、身をもって痛感しました。

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そして、こうしたピラミッド的な考え方は、大学受験、新卒採用にも共通しています。 

大学受験で言えば、「偏差値が高い=良い」「有名大学に入る=優秀」とされる。

大学受験の実績を上げる責任を持った高校教諭が、偏差値が低い生徒を「競争力なし」とみなして、偏差値の高い生徒の進路指導や教育に力を入れる。
ここでいう「入り口」は偏差値であり、受験する大学のブランドであって、本人の性格や資質、勉強以外の能力にスポットライトが当たることはありません。

新卒採用でも同じです。
有名大学の学生は、「優秀だ」「市場価値が高い」とみなされ、企業も争奪戦を繰り広げます。
中には大学名によってS、A、B、C…などとランク付けをし、「Sから◯人採用、Aから◯人採用する」などと人事に目標を課している企業もあります。
大学名によって会社説明会の予約枠数が異なる、というのは今や当たり前の話です。

企業の人事担当者にとって、「有名大学の生徒を◯人採用できました」というのが自身の評価につながる点も見逃せません。

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問題の本質は、評価システムの不在

大学受験でいう偏差値。
新卒採用でいう大学名。
転職活動でいう雇用形態、年収、職種、所属企業のブランド。
なぜ、こういう狭い観点で人をスクリーニングするのか。
「この要件を満たしていれば優秀であろう」という確率論は理解できなくありませんが、その中身があまりにお粗末です。

今日は転職エージェントの話を例に挙げていますが、これはあくまで一例に過ぎません。
詳しくは割愛しますが、書類選考や面接、面談してくれた数少ない転職エージェントとのやり取りでも、直近の職歴が非正規雇用であることがハンデとなり、苦労した場面が沢山ありました。

この仕組みの下では、偏差値、大学名、雇用形態、年収、職種、会社のブランド…嫌でもそういったものにすがって生きていかなければ誰しも不安になります。
(「ココロを自由にする」「精神的自由を手に入れる」とはかけ離れた考え方です)

つまるところ、こうした観点でしか人を評価できていない、、逆に言えば「どのような観点で人を評価すれば、目的に沿った人材を見極めることができるのか」がわかっていないという、人材評価観点の未熟さと、評価システムの不在が日本の就職・転職市場における問題の本質です。

この現状の中で、私たちはどう生き抜けばいいか。
ひとまず、非正規雇用から正社員になる、ピラミッドの下層から脱するという意味での処方箋は3つあります。

①人のつながり、コネクションを使って直接正社員としてヘッドハントされる
②現在の職場で高い成果を上げ、正社員に登用される
③正社員化前提の紹介予定派遣の仕事に就く

ピラミッド構造の上層の方が優れている、と言っているようで本当はこんなことを書きたくありませんが、大きなシステムの中で生きるしかない私たちにとって、生活基盤を整えるためには仕方ありません…

ただ、①~③で覚えておきたいのは、いずれの道も、自己研鑽を積み、自分の内側に武器となる知識、スキルを蓄えておく必要があることです。
特に①に関しては、人とのつながりも重要になってきます。

自己研鑽を積んだり人とのつながりを作ることは、「自分の身を守るため」だけでなく、「自分の人生を豊かにするため」にも重要なピースです。

そういった努力の価値は目には見えませんが、私たちにできることは、いつかその種が花として芽吹くことを信じて今できることを積み上げていくことなのだと思います。

次の仕事が決まりました。

ようやく、ようやく次の仕事が決まりました。
(短期の仕事を除くと、これで5社目です)

先週の月曜日から、新しい職場で働いています。

6月26日で短期のアルバイトが終わり、無職になって一週間が経った頃。
色々なルートで四六時中仕事を探し、応募書類も何通も書きましたが結果が出ず、「もう生活費も底をつきそうだし、一回バイトに戻るしかないか…」と諦めかけたとき、とある会社の選考が電光石火のスピードで進み、あっという間に採用が決まりました。

「紹介予定派遣」という形態で、最初は派遣社員として働き、何ヶ月か立つと企業側と本人の両方の同意のもとで直接雇用に切り替わる契約をしました。

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強烈に「縁」を感じた

他の会社に応募しても、うまくいかないときは全くスムーズにいきませんでした。
書類選考で落ちる会社。
書類選考にも進めず、派遣会社へのエントリー段階で落ちる会社。
面接でお互いのミスマッチが酷かった会社。
色々ありました。

最終的に合格を頂いた会社は、僕にとってこれ以上無い条件が揃っていました。

  • 「一度派遣社員も経験してみたい」という希望が叶う(これで正社員、契約社員、アルバイト、派遣の全雇用形態を経験したことになる)
  • 最初は派遣社員なので会社からの期待値も低い
  • ゆくゆくは正社員に復帰できる
  • 仕事の内容(人事総務全般)が、やりたかった仕事に限りなく近い
  • 残業が少ない
  • 残業代がちゃんと出る
  • 自宅からの通勤が1時間以内&乗換なし
  • アットホームでフレンドリーな社風
  • 仕事のスピード感が遅い(体感はリクルートの3分の1くらい。疲れにくい。)
  • 面接で、転職を繰り返した私の経歴(過去の職務内容)がむしろ評価された

これだけ希望が叶う求人を自分の手で見つけることは100%無理です。
この会社で働くことになった経緯も、思えば実に様々な偶然が重なっていました。

自分の意思とはまったく別のところで、何かの力が働いたような気がします。
それを表すのに最も近い言葉が、「縁」のような気がします。

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「合わない環境」に身を置いた経験が、自分の輪郭をはっきりさせた

命を削るような働き方をし、体と心を壊し、復帰してもブラック企業でまた心身をすり減らした20代後半。

そうした経験の中で、
「自分にとって、働く上で何の優先順位が高いのか」という仕事観、
「どんな組織が合うのか」という組織適性、
「どんな仕事が向いているのか」という職務適性、
「持続的に働いていくために自分には何が必要か」というストレス耐性、
実に色々なものが見えました。

苦労した経験は、まったく無駄にならなかったと感じています。

苦労の中で考えたこと、感じたことは自分の中にちゃんと残ります。
それは、お金の価値に換算できない人生の財産です。

その財産は、努力を続ける限りいつか何かの形で必ず実を結びます。

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まとめ

今後ですが、まずは焦らずに目の前の仕事に慣れていこうと思っています。
(物事の始めにアレコレ高すぎる目標を立てる癖があるので、今回はやめます)
まずは目の前のことを一個一個積み上げていくつもりです。

また、今回の転職活動は、これまでで一番社会のリアルを肌で感じた経験でした。
「転職」というテーマで見た社会のシステム、そのシステムの中で生き抜く術、色々なものを感じ、色々なことを考えました。
それを切り出して一つ記事を書くつもりですので、そちらは近々また。

2つ前の記事の最後に書いた「将来やりたい仕事」についても、近い内に別記事でアウトプットしたいと思います。

yudaism.hatenablog.com

 
最後に余談ですが、一つ前の記事に書いたことは、今回証明されたような気がします。
(今回の仕事は年収350万円くらいなので、自己評価に比例してちょっと上がった)

yudaism.hatenablog.com


ということで、とりあえずまた生きていけそうです。
なんとか着地できて内心ものすごくホッとしています。

 

自己評価と収入は比例する

短期アルバイトが終わって1週間が経ちました。

社会人になって初めて、次の仕事が決まっていない状態での無職を経験しています。
色々と今できることはやっているので、焦らずに縁を待っている状態です。

今日は色々とこれまでの仕事人生を振り返っていました。
その中で、以前から思っていた持論について、今日は書いてみます。

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新社会人のときに感じた違和感

新卒で半導体関連のメーカーに就職したときのこと。
初任給の給与明細を見て、「こんなにもらえるのか…!」と驚いた記憶があります。

社会人1年目の収入が、年収にして約500万円。
僕はこのとき、2つの違和感を覚えました。

 

①仕事の能力と給与水準の不均衡に対する違和感

まず、1ヶ月前まで学生だった、何の実務能力もない自分が、当時サラリーマンの平均年収と言われていた400万円を上回る収入を得ることに、かなりの違和感を覚えました。

収入に見合った仕事をしたい!という思いもあり、3年ほどは積極的に自己研鑽を積みました。
ですが、違和感はなかなか減りませんでした。

同じ会社の中でも、より業務負荷の高い営業系職種の同期と、管理部門で座り仕事をしている自分が、大して変わらない給料をもらっていることにも違和感がありました。

 

②自分という人間と給与水準の不均衡に対する違和感

もう一つは、「自分がこんなに給料をもらえるはずがない」という違和感です。
言葉で表現するのが難しいですが、毎月の給与明細を見るたびに、もらいすぎてしまった罪悪感のような、何か落ち着かないような感覚がありました。

この2つの違和感から、心の底ではいつも、
「俺は実際に出している成果や、能力以上の給料をもらっている」
「この待遇が当たり前だと思ったら大間違いだ」
「もし他の会社で同じレベルの仕事をすれば、間違いなく収入は下がる」
などと思っていました。

実際のところ、当時の自分の仕事能力が収入に見合う水準だったかどうかはわかりません。

でも確実に言えるのは、当時は非常に自己評価が低かったということです。

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転職を繰り返した結果、収入はこうなった

その後、色々思うところがあって転職をします。

このときの転職では、給与水準は維持されました。
同じ収入でも、仕事がより1社目より高度に、負荷の高いものになったことで、①の「給与に見合った仕事をしていない」という違和感は減りました。
ですが、②の違和感が残り続けました。

結果、その後の2度の転職では、
550万円→400万円→250万円
と次第に収入は下がっていきました。

最終的に年収250万円まで落ち込んだことで、ようやく②の違和感はなくなりました。
この水準が、自分にとって「落ち着く水準」だったということだと思います。
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深層意識下での自己評価と、収入は比例する

ここから感じたのは、
「深層意識下での自己評価と、収入は比例する」
ということです。

なんとなく、自分自身の深層意識が今の現実を形作っているような感覚があります。

正社員を外れ、非正規雇用となったこと。
社会的な立場も弱くなり、生活水準が下がっていること。
すべては自分の深層意識が「自分にふさわしい、落ち着く場所」に身を置こうと働いた結果のような気がします。

ここでポイントなのは、顕在意識ではなく、深層意識が現実を形作るという点です。

表面的には虚勢を張り、「俺はデキる人間だ!」と息巻いていても、
深層意識下で「俺は能力が低い。今の組織をクビになったら食っていけなくなる」などと恐れを抱いていれば、こちらの恐れが現実になる可能性が高い。

それくらい、「深層意識下では自分をどう評価しているか」は重要な問題です。

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深層意識は、実体験によって書き換えることができる

この記事を書いている現時点では、最悪の時期よりもだいぶ自己評価が上がっている実感があります。

それは、直近で年収250万円の仕事(一つ前の記事に書いたような低単価・低付加価値の仕事)を経験したことがきっかけです。

yudaism.hatenablog.com

こうした仕事で、周囲の同僚と自分を比較し、目の前の仕事と自分の能力を比較して、「自分はもっと高い賃金をもらっていいし、もらえる能力を持っているんだな」と自然と感じることができました。

これまで属していた組織とは比較対象たる同僚が色々な側面(能力水準や、仕事に対する姿勢・意識など)で違ったことで、自分の能力水準を正確かつ客観的に評価できたのかもしれません。

自分の能力に対する自己評価を書き換えるには、こうして実体験を積むのが一番の近道のような気がします。

今は目下仕事探しの真っ最中ですが、今日書いたことに信憑性があるのかどうか、自分をサンプルとしてこれから検証していきたいと思います。笑

ワーキングプアから抜け出せなくなる構図

短期アルバイトを始めて3週間。

無事に職場には馴染むことができ、仕事も簡単で、コールセンターの仕事で出社拒否状態になったのが嘘のように毎日出勤しています。

ただ、7月以降の仕事が決まっておらず、何かを変えなければいけないと感じています。(気づいたら、あと4営業日働いたら無職…)

今日は、この3週間で、私自身が当事者となって初めて感じたことについて書いてみたいと思います。

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働くことを通じて目指したい状態

そもそも論から考えてみます。
働くことで目指したいのは、以下の3つの余裕がある状態です。

  1. 体の余裕
  2. 心の余裕
  3. 経済の余裕

この3つの余裕が保てていれば、ある程度安心感を持って働き続けることができるはずです。

私は、この3つの余裕の大切さを、失って初めて実感しました。

恐ろしいのは、2と3が深く関係し合うことです。
経済的な余裕がなくなれば、心の余裕もなくなり、就職活動がうまくいかなかったり焦って自分に合わない仕事を選んでしまったりします。

今日フォーカスしたいのは、1,2,3すべての余裕が一度なくなると、状況を好転させるのが非常に難しくなるという点と、そこから抜け出す方法についてです。

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低単価の仕事を選ぶことで起きる悪循環

上記1の「体の余裕」は、当然ながら長時間労働によって失われることが多いです。
一言に「長時間労働」といっても、そこには2種類あるように思います。

  • 純粋な業務量の多さ、業務の難易度の高さによって長時間労働するケース
  • 低単価・低付加価値の仕事で、長時間労働しなければ生計を立てられないケース

ここで問題にしたいのは後者のケースです。

後者のケースで生じる一番の問題は何でしょうか。

それは、時間と金銭的余裕の無さゆえに、専門知識や技術を習得できないことです。

専門知識や技術がないために、仕事を変えようにもまた「誰にでもできる、低単価・低付加価値の仕事」に就かざるを得なくなる、その負のスパイラルで時間を奪われることが本質的な問題です。
これが、ワーキングプアから抜け出せなくなる構図です。

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生計を立てるために長時間働く

体は疲れ、自由な時間もなく、帰宅しても衣食住を整えるだけで一日が終わる

そして翌朝、また低賃金の仕事に向かう

仕事の付加価値が低いので、仕事を通じて専門知識や技術が身につかない

転職しようにも、同じ低単価・低付加価値の仕事にしか就けない

気がつくと時間ばかり経ち、年齢を重ねる

転職自体が難しくなる
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この生活サイクルの中では、将来に向けた自己研鑽を積もうにも、時間とお金が足りません。
そもそも、未来に向けてどんな自己研鑽を積めばいいのかという情報をくれる人とも知り合うきっかけがなく、努力の方向性を誤ってしまう可能性もあります。

将来に向けた自己投資をできないまま時間だけが過ぎていけば、年齢を重ね、転職の難易度は上がり、人材としての市場価値はみるみるうちに下がって、仕事も見つかりづらくなる。

そうして、次第に上記2の「心の余裕」まで奪われていくのだと思います。

実際の体験談 

私も実際に体験して初めてわかりましたが、「特に専門知識や専門技術のいらない、誰にでもできる仕事」というのは本当に単価が安いです。

たとえば、私の経験した日雇派遣の一つは、とある石鹸工場で、石鹸の材料となる複数種類の粉をプラスチックの型に順番通りに入れていく、という単純作業でした。

時給は1000円。9時から18時まで8時間働いて、諸々控除されて手取りは1日7,500円。
月に20日働くと、手取りは7,500×20=15万円。
ここから国民健康保険料や国民年金保険料を支払うとなると、手取りは13万円未満。
水道光熱費、家賃などの固定費を考えると、自由になるお金は非常に少なくなります。

「誰にでもできる仕事」というのは、このようにフルタイムで正社員並みの時間働いても、生活に必要最低限の賃金しか稼げません。
「心の余裕」を生むような、趣味やレジャーなどに費やすお金はほとんど残せないのが現実です。

今就業中の短期のアルバイトも、時給は1300円ですがこの構造に大差はありません。
仕事は何の技術も身につかない単純作業で、時間を切り売りしているような感覚に陥ります。

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では、どうすればいいか?

この悪循環を抜け出す方法はただ一つ。

「仕事における目標を決め、目標に向かって、できることから自己研鑽を積む」

これに尽きると思います。

時間とお金の余裕がないとはいっても、どちらもゼロではないはずです。
僅かに残った時間とお金を目標に向かって集中投下することで、「誰にでもできる仕事」ではなく、「限られた人にしかできない仕事」に就くための専門知識や技術を身につけることが必要です。

ハローワークなどで消化してもらえる職業訓練も同じ理屈で、「限られた人にしかできない仕事」に就くための知識や技術の習得を目的にしています。
職業訓練然り、お金がなくても負のスパイラルから抜け出す糸口は必ずあります。

一度、「限られた人にしかできない仕事」に就くことができれば、そこから先は好循環が生まれる可能性があります。

なぜなら、「限られた人にしかできない仕事」は仕事自体を通じてさらに深い専門知識や技術が身につき、自分自身の人材としての価値が高まっていくからです。

時間あたりの賃金は上がり、同じ収入を得るにも働く時間が少なくて済み、余った時間を自己研鑽に充てられる、という、先程とは真逆の循環が生まれます。

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まずは、目標を立てることから

実は、一番難しいのはその前段階、「仕事における目標を立てること」ではないかと思います。

目標が立てられないから、どこに向かって努力していいかわからない。
空き時間はなんとなくスマホをいじりながら、気づけば一日が終わってしまう。

無意識に日々を過ごすと、そんな時間を積み重ねてしまいがちです。(私も含め)

「こんな仕事をしたい!」といった具体的な目標でなくても、
「正社員に復帰する」とか、「月3万円ずつ貯金できるくらいの給料を貰う」とか、目標は本気でそうなりたいと思えるものであれば何でも良いのではないかと思います。

ちなみに、今の私の目標はこの3つです。

  • 将来、本業とは別に個人事業主としても働く(※詳細はいつか別記事で)
  • 人としての幅を広げるため、個人事業主の仕事に活かすために、すべての雇用形態(正社員、契約社員、アルバイト・パート、派遣社員)を体験する
  • 正社員以外の雇用形態から、正社員に復帰する(今は一度非正規雇用になると、正規雇用に戻るのが非常に難しいシステムになっているので、あえての挑戦)

今経験している苦労のすべては、将来「オイシイ体験だったなー」と思えるような、人に話せるネタになると信じて受け入れようと思っています。

私自身はここに書いているような考えに至るまでに、沢山の人から本当に温かい言葉、激励、アドバイスをもらいました。

この記事を読んでくださっている方々も、きっと沢山辛いことはあると思いますが、私も一緒に頑張っていきたいと思っています。

仕事を辞めました。

一つ前の記事に書いたコールセンターの仕事に耐えきれず、5月末で会社を退職しました。

yudaism.hatenablog.com

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クレーム対応の仕事に適応しやすい人

クレーム対応の仕事は、

  • 仕事が終わったら、仕事のことを忘れられる(切り替えが上手)
  • クレームを受けても「責められているのは自分じゃなくて会社だ」と考えられる
  • 物事を深く考えすぎない

の3つの要素を備えていると適応しやすい、と同僚や上司から聞いていました。
実際にクレーム対応をしてみて、非常に核心を突いている分析だと思いました。

その点、3つとも真反対の性格の僕には、もともとストレスの大きすぎる仕事だったのかもしれません。

もう一度復帰して、乗り越えようと努力する選択肢はありました。
数をこなすうちに「クレームに慣れる」という世界があることは聞いていましたし、そこまで到達したい気持ちもありました。

ですが、過去の職場ではそうして復帰した結果、さらにエネルギーと時間を浪費する結果になったこともあり、今回は早めに見切りをつけることにしました。
(きっと、クレームに慣れる前に潰れてしまっていたと思います)

早く諦めることも、僕に自分にとっては初めての経験でした。

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1ヶ月は短期アルバイトで生活予定

6月からはひとまず、派遣会社の紹介で短期のアルバイトで食いつなぎます。

5月末に一つ正社員採用の面接を受けましたが、正社員の仕事の内容が想定していたものと全く違うハードなもので僕には持ち堪えられそうにありませんでした。
ですが、辞退するまでもなく結果は不合格。笑
面接官にも、仕事のプレッシャーに耐えきれない弱さがあることが伝わったのかもしれません。

この半年間、書類選考や面接で何社も落ちたせいか、一つ選択肢が消えても「また新しく選択肢を見つければいいや」「視野を広げて、他の仕事も考えてみよう」と前を向ける柔軟性は備わってきました。

人は追い詰められているときほど視野が狭くなり、目の前の選択肢が消えた途端すべての希望が絶たれたような気になります。

でも、良い選択肢は大抵、自分の意識の外側に転がっていたりします。
「そうか、そんな手があったのか!」という風に。

目の前にそれを掴むチャンスが訪れたときに逃さないように、追い詰められても、柔軟で前向きな志向は持ち続けたいと思っています。
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今後に向けて、1つ思ったこと

不本意ながら自分にとって4社目の会社を辞めたことで、今回1つの大きな気付きを得ました。

それは、「仕事が長続きしない原因の半分は、自分自身にある」ということ。

履歴書や職務経歴書を書く過程で過去の転職理由について振り返ったとき、そこに労働環境の劣悪さ、社風との相性、仕事の量的負荷など、外部要因があったことは確かです。

ですが一方で、

  • 不安な気持ちから完璧主義に陥り、人一倍働いてしまう
  • 仕事の悩みを抱え込み、同僚・上司になかなか相談しない
  • つい良い顔をしすぎて自分の本当の感情を押し殺してしまう
  • ビジネスライクに割り切る(人としての感情を捨てる)ことが苦手
  • 物事をなんでもかんでも深く考えすぎる

などといった自分の性格が、自分自身の首を締めていることを今回の退職で強く感じました。

どれだけ自分と合う仕事、自分と合う職場に出会えたとしても、こうした性格が少しマイルドに変わっていかなければ、どんな仕事をしてもきっと疲弊すると思います。

「自分がダメなんだ」と100%自責に走るのは危険です。
でも、「仕事が合わない」「社風が合わない」と100%他責に走っても問題は解決しません。

自分と仕事・環境の相性は冷静に見極め、自分の顧みるべきところは顧みて、自責と他責の間でバランスを取りながら、自分自身が変わっていかなければと強く思いました。

現在、転職先の候補はゼロ。
1ヶ月先の仕事は全くの未定という中で、自分自身どうなっていくのか。
そのプロセスを、不安に殺されず、むしろ楽しみ味わいながら進んでいきたいと思っています。 

コールセンターの仕事で見たリアル

前回投稿からだいぶ間が空いてしまいました。

近況ですが、2月後半から会社に行けなくなったり復帰したりを繰り返して、今もまだ心身ともに不安定な状況が続いています。

とりあえず、と短期で始めたオフィス機器のコールセンターの仕事。
当初は仕事にもスムーズに適応でき、周囲から高く評価されていましたが、最近は「クレーム対応」が苦しくて仕方がありません。

その経験から考えたこと、感じたことを今日はざっくばらんに書きたいと思います。

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初めてリアルに対峙したクレーマー 

噂には聞いていましたが、本当にいました、クレーマー
電話の向こうの消費者に怒られることもありますが、その中には健全な消費者もいれば、ただ因縁を付けてくるクレーマー、とにかく人を罵倒しにかかるクレーマーなど様々います。

例えば、操作案内の途中で、
「てめえ、俺が悪いって言いてえのかこの野郎!!」
と罵倒してくる人。

電話の冒頭、数十秒話しただけで
「は?お前じゃ話にならん!上の奴を出せ!!」
と怒鳴りつける人。

「もっとわかりやすく説明できねえのかこの野郎!コールセンターだろ?」
と強い口調で非難する人。

こうしたクレーマーに対峙するのが初めてだった僕は、見事に真正面からダメージを喰らいました。
電話の最中は、全身から汗が吹き出て、緊張で声が震え、頭が働かなくなります。
電話が終わった後は自信を失い、途方もない悲しみが押し寄せてきて、「また傷つけられるのでは…」と電話を取るのが怖くなります。

コールセンターの辛いところは、どんなに揉めても相手の言動を否定したり、電話を途中で切ったりできないこと。
なんとか怒りを鎮めてもらおうと1時間以上話し続け、その間ずっと罵倒され続けたこともあります。

もちろん、僕自身にも反省すべきところはあったと思います。
不慣れで説明が足りなかったり、わかりにくかったり、言い回しがおかしいときもあったでしょうし、それについては十分に謝罪したつもりです。

それでも、「クレーマー」(≠健全な消費者)は許してくれません。
こちらの心が折れるまで、全力で非難と罵倒を繰り返してきます。

同僚の中にも、電話が終わった後にトイレに駆け込む人、泣き出してしまう人、怖くて次の電話が取れなくなる人など、苦しんでいる人が沢山いました。

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「消費者」という立場を利用して相手を支配したがる人々

クレーマーと健全な消費者の境界線は、「批判の目的をどこに持っているか」にあります。

健全な消費者が商品やサービスを批判する背景には、「期待を裏切られた怒りをぶつけ、受け止めてもらいたい」や、「今後の商品やサービスを改善してほしい」といった目的があります。

一方で、クレーマーは「相手を攻撃して屈服させること、自分の優位性を示すこと」に批判の目的を置いています。
自分が正しいこと、優れていることを誇示し、オペレーターを攻撃して破壊することでその支配欲を満たそうとするのがクレーマーです。

クレーマーがいくら心を破壊しに来ても、オペレーターは「企業のブランドを守る」という役割上、絶対に反撃することができない。
このことをクレーマーはよく知っています。
絶対に反撃できないとわかっているからこそ、強気に出てくるんです。

オペレーターは一方的に殴られ続け、反撃することも、自分の感情を表現することもできないまま、電話が終わった後にそのショックと向き合うことになります。
仕事とはいえ、この構造はどう考えても不公平であり、理不尽です。

いくら資本主義の世の中であっても
「お金を払う側=強者、正しい」
「お金を貰う側=弱者、間違っている」
という論理は成り立たないし、その論理を振りかざして他者を傷つけることは倫理的に許されないと僕は思います。
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競争社会の論理に飲み込まれて生きる辛さ

それでも、クレーマーのことを僕はとても気の毒に思います。

クレームを受けた直後はショックで茫然自失になりますが、時間が経ってからは
「相手を屈服させることでしか満足感を得られないんだろうな…」
「オペーレーターしか八つ当たりする対象がいないんだろうな…」
「自分の物事の捉え方が原因で、仕事をしていてもストレスばかりだろうな…」
など、色々な想像をします。

物事の価値を金銭でしか判断できなかったり、関わる人々を「自分より優れているか、劣っているか」でしか捉えられなかったり、「自分が正しい、相手が間違っている」と思い込んで生きていたり。

そんな生き方は、資本主義や競争社会に飲み込まれてしまった、とても苦しい生き方に思えます。

なぜなら、
いつも競争に勝てるとは限らず、
自分が弱者や敗者になることもあり、
そのたびに憎しみや恨みが心を支配して、
自分が強者や勝者であるときにだけ一瞬心が満たされる、
そんな不安定な生き方のように、僕には感じられるからです。

コールセンターの仕事が包含する「一方的に心を傷つけられることもある」という精神的苦痛を考えると、一般的に支払われている報酬はあまりに少ないのが現実です。
なにか、その苦痛を超えるやりがいや希望、目標などを持っていないと、なかなか継続していくのは難しい仕事だと思いました。

そして、自分がどんなに苦しい境遇に置かれても、人を攻撃したり、支配しようとしたり、屈服させることで満足感を得るような人にはなりたくないと、今回の経験を通じて強く思いました。

でも、人にやさしく、心を失わないで生きるためには強い信念が必要です。
その強さ、強さを形作る信念を、僕もひとつずつ積み上げていきたいと思います。

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