ココロを自由にするブログ ~自信を育て、しなやかな自分を創る~

不安に振り回されず、自由に生きる。3度の休職を乗り越えた筆者が考える、心の自由を手に入れ、幸せな人生を歩むための、考え方と行動のヒント集。

過去を肯定できることの意味

自分の過去の経験の中で、
「あのときは辛かった」
「不運だった」
と思う出来事はないでしょうか。

プラスの意味付けが難しい嫌な経験は誰にでもあると思います。
そして、良い思い出より嫌な思いのほうが深く記憶に刻まれていたりします。

今日は、そんなネガティブな経験がプラスの財産に変わる、1つの気づきについて書いてみます。

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自分の過去を無意識に否定していないか

1つ前の記事に書きましたが、僕は前職の会社でなぜか借金を背負いました。
必死で働いたことの対価はお金という形で得られず、心身にも深いダメージを負いました。

それでも、心の中では
「これほどひどい職場は今後そう出会えないだろう」
「ここまでひどい経験をすれば、今後の人生、何でも"恵まれている"と感じられる」
などとプラスの意味付けをしていました。
そんな会社を選んでしまったことへの後悔も、全くしていないつもりでした。

でも、それは強がりでした。

派遣先こ仕事で、初対面の方から「ここに来る前はどんな仕事をしてたの?」と聞かれるたびに、僕は前職の理不尽な経験を語っていました。
そのときの僕の心の中には、たしかに会社への不満や怒り、そんな会社を選んでしまったことへの強い後悔、休職経験を2回も積み増ししてしまったことへの悔しさがありました。

顕在意識でどんなに前を向こうとしても、潜在意識では後悔や怒りが残っている経験。
きっと誰にでもあるんじゃないかと思います。

この経験から「後ろを向いてクヨクヨしても仕方ないとはいえ、無理に前を向こうと意識しても心が頭についていかないことがある」と学びました。

一番つらいのは、自分自身が自分を否定すること

そうした後悔や怒りの感情は、今この瞬間や、未来に向かうプラスのエネルギーを削いでしまいます。

ネガティブな感情の矛先が自分自身に向かうと、その傾向はさらに顕著になります。

「なんで自分はあんな選択をしてしまったんだろう」などと自分自身を否定すると、今後の自分の選択に自信が持てなくなるばかりでなく、意識「今」や「未来」ではなく「過去」に向かってしまいます。

人間にとって一番辛いのは、他人に否定されることではなく、
自分が自分自身を否定すること、
自分が自分自身を信頼できなくなることです。

大勢の人に否定され続けても、自分が自分を信頼している状態。
大勢の人に認められてはいるが、自分が自分を否定し続けている状態。
極端な二択ですが、後者のほうがきっとより辛いのではないかと思います。

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点と点は、いつか線になる

僕自身も潜在意識下では自分の選択を深く後悔していましたが、
最近、そんな意識がガラリと変わる出来事がありました。

それは、今契約社員として従事している仕事で、今までの経験やそこで得たスキルが全て生きている実感を得られたことです。
その結果、会社にも仕事ぶりを評価してもらうことができています。

直近の2年間は仕事の進め方も、能力も、成果も、何一つ認められず否定され続けた毎日でしたが、会社からの期待に応えようと必死に努力していました。
それでも否定は止まらず、心が折れて休職もしました。
結局退職するまで一度も褒められることなく終わり、退職のときには「自分はなんて仕事ができないんだ」と完全に自信を失っていました。

ですが、その間に積み重ねた努力が知らぬ間に自分の血となり肉となって、今になって初めて、身につけたものが評価され始めました。

確かに「お金」という形で報酬は得られませんでしたが、「仕事のスキル」という財産を身につけることができた2年間だったんだと、初めて心からプラスの意味付けをすることができました。

自分の否定していた過去が、肯定できるようになること。
その意識の転換が起きたとき、心には未来に向かう前向きなエネルギーが湧きます。

過去の自分も含めて肯定できることが、こんなに未来に向かう意欲ややる気を湧き上がらせてくれるのかと、実感した瞬間でした。

3度にわたる休職の経験も、無駄ではありませんでした。
苦しんだからこそ心の健康のありがたみがわかるし、人の痛みに寄り添うことの難しさも理解することができました。

スティーブ・ジョブズスタンフォード大学でのスピーチで言っていたように、「点と点が線になる」ということ。
大袈裟ですが、そんな感覚を齢30にして初めて感じ始めました。

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まとめ

とはいっても、自分が否定している過去を、意思の力だけで肯定できるようになるのはとても難しいことです。

その意識の転換には、少なくとも何かしらのリアルな実体験が必要です。
今回はたまたま身を置いた環境が良かったのですが、自分から行動を起こしてその意識転換をできる方法はまた別記事で書きたいと思います。

また、中には肯定することができない過去もあります。
すべてを肯定すべきだとも思いませんし、そんな必要もないと思います。

ただ、大切なことは、過去も今も未来も含めて自分自身を信頼することなんだと思います。
良い出来事もも悪い出来事も含めて無駄なものは1つもない、いつか1つの果実となって実を結ぶことを信じること。

このことを忘れずにいられたら、きっと安心して過ごしていけるような気がします。

いろいろあった3ヶ月

久々の更新。
今更ですが、あけましておめでとうございます。

この3ヶ月、実に色々ありました。

ざっとこんな感じです。

  1. 退職に一苦労
  2. つい先日まで同居していた祖母が、脳梗塞で2回倒れる
  3. 人生初の短期の仕事を始める
  4. 転職活動で連戦連敗
  5. 人生初の日雇派遣

書きたいテーマは沢山溜まっていますが、今日はまず近況を書きたいと思います。

 

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1.退職に一苦労

まずは、心身がボロボロになった会社を11月に退職しました。
理不尽な借金を背負いましたが、転職活動のエネルギーまで失う前に避難を試みました。

事前に緻密な用意をして退職交渉をし、こちらはうまくいきました。
会社を許せない気持ちをグッと押し殺して、自分自身を悪者にすることでなんとか揉めずに退職することができました。

ですが、退職日まで仕事をやりきるのに苦労しました。
ドが付くくらいのベンチャー企業のため、自分自身の退職に必要な一切の手続きをすべて自分でやらなければならず、加えて自分が抜けても会社が回るよう完璧なマニュアルを残すように求められました。
その他に担当していた業務も、引き継ぎが必要ないくらいにやりきって退職しました。

まあ、ベンチャー企業を選んだので仕事をやりきること、多少の理不尽は仕方ないのですが。従業員に対して通常会社がやってくれる手続きの一切を自分でやらなければいけないというのが、心身がボロボロだった自分には堪えました…。

とにかく、残っている体力気力を使い果たしてなんとか退職することができました。

2.つい先日まで同居していた祖母が、脳梗塞で2度倒れる

一番きつかったのはこれです。
10月末に一度、12月頭に一度祖母が倒れ、年内いっぱいバタバタしていました。

僕はたまたま2度とも倒れた現場に居合わせたので、母と一緒に入退院の手続き、介護保険の申請と認定調査、介護施設探しと契約、親族への連絡、家族間での役割分担、退院後の準備などに追われました。

幸い後遺症がほとんど残らずに済みましたが、ただでさえショッキングな出来事に会社の退職時期が重なったことで、かなりいっぱいいっぱいの状態で2ヶ月を過ごしました。

祖母の命が助かっただけで本当によかったのですが、、
「介護」という問題を当事者として身近に感じ、ライフステージが変わってきたことを実感した出来事でした。

3.人生初の短期の仕事を始める

祖母の入院中に急いで探したコールセンターの仕事を、11月の後半から始めました。

「初めての短期の仕事だ…」と緊張しながら応募した仕事は、
蓋を開けてみると大手自動車メーカーのリコール対応窓口でした。

どんな人が働いているのか、仕事にはきちんと馴染めるか不安でしたが、幸い同僚の派遣社員たちは皆優しく、就業先の社員も皆仕事熱心で最高の職場でした。
クレームの電話も受けましたが、思っていたほどのストレスは感じずに済みました。

2週間でリコール窓口の仕事は終わりましたが、12月からは同じ就業場所で別のコールセンター業務を紹介してもらえました。

今はコールセンターの契約社員という身分で、12月に引き続き働きながら生計を立てています。

4.転職活動で連戦連敗

隙間時間を縫って転職活動もしていました。
いろいろ考えた結果法律事務所で働いてみたいと思い至り、何件も手書き履歴書を送りましたが、ことごとく書類選考で落ちてしまいました。

男性で、30歳という年齢に加え、法律事務所勤務の経験がなかったことがネックになったようなのですが、全力を注ぎ込んだ応募書類が1件も通らないのはなかなか辛いものがありました。

ただ、幸いなことに1月に入ってコールセンターの会社から「次の仕事が決まるまででもいいから、なるべく長く働いてほしい」と言ってもらい、食いっぱぐれる心配はなくなりました。

転職活動については、焦らずに情報収集を続けながら継続していくつもりです。

 

5.人生初の日雇派遣

とはいえコールセンターの契約社員だけでは食べて行けず、先週から週末に日雇い派遣の仕事を始めました。

とある製造工場で8時間立ったままひたすら単純作業を繰り返す仕事で、正直なところ、仕事の内容にも一緒に働く人にも、正社員以外を経験したことのない自分には衝撃がありました。

ですが、短期のコールセンターも日雇い派遣も、これまで全く知らなかった世界が広がっており、そこで出会う人々も新たな刺激をくれるので意外と楽しめています。

「自分はなんて世間知らずだったんだ…」と毎日思いますし、
今の環境を自ら選んだことに全く後悔はありません。

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まとめ 

祖母も年末に無事退院し、僕自身もとりあえず日々の仕事を探すストレス、職場での圧倒的なストレスから開放されたのでこうして久々に記事を更新しています。

収入は以前の会社の半分近くまで落ち込みましたが、今のほうが幸福度は断然高いから不思議です。

このブログのタイトル、「ココロを自由にする」の通り、
心が自由に羽ばたいていて、安心して日々を過ごしていける日々に勝る価値はないような気がいます。

端から見ると正社員から契約社員派遣社員への転落かもしれないし、
金銭面でも低所得者層になったのかもしれません。

でも、今はお金や社会的地位よりも、自分の心と体の健康を最優先にしてしばらく過ごしていきたいと思います。

2、3年後ですら自分がどうなっているのかは全く予測できませんが、適度に肩の力を抜いて、まずは安心して毎日を過ごしていけたらと思っています。

3度目の復職から2ヶ月。会社を辞めることにしました。

9月に3度目の休職から復活していましたが、
2ヶ月弱働いた結果、今の会社を辞めることを決意しました。 

yudaism.hatenablog.com

 
結局今日まで書かずじまいで来てしまいましたが、今日は
・そもそも、今の会社で3度目の休職をした理由
・9月に復職を決意した理由
・今このタイミングで退職することにした理由
を書いてみたいと思います。

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今の会社で3度目の休職をした理由

元々3度目の休職に突入してしまった最大の原因は、上司のパワハラ的関わりでした。

僕を含めて3人しかいない会社で、毎日嵐のようにダメ出しを受け続け、仕事のプロセスをすべて監視されながら、一つでもミスがあったり上司のやり方に沿わない方法で仕事を進めればその場で叱責される毎日でした。
辛かったのは、「行動」ではなく「性格」「能力」を否定され続けたこと。
僕以外の2人は役員なので、その辛さを吐き出す人もいませんでした。

「なんでそういうことするかなあ。普通はこうやるだろ。」
「お前にはこの仕事は向いていないな。」
「営業もできない、作業はミスする。お前には何の仕事ができるんだ?」

そんな関わりが数ヶ月続いた上、これまで約100万円分ものタダ働きを強要されていました。
「お前をウチが雇っていなかったら、今頃休職中の手当ももらえていないだろう。」
「会社に恩があるんだから、その恩を返せ。」
と、2度目の休職中に迫られ、断ることもできずに2度目の復職後しばらくはタダ働きをしていました。

毎日の叱責で自分の能力に対する自信が日に日に目減りしていき、
働いても給料がもらえず親にお金を借りて胸が締め付けられるような日々を送っていた4月のある日のこと。

上司に集中的に暴言を浴びせられたことで心がポキっと折れてしまいました。
帰りの電車で涙が止まらず、翌朝になっても泣きっぱなしで、久しぶりの完全自己否定モードに突入。
不眠や発熱、食欲不振や無気力状態になり、会社に行けなくなりました。

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一度は辞めようと思ったものの、復職を決意。

しばらくは自己否定モードに苦しみましたが、正気に戻るとあまりの理不尽さに怒りが湧き上がり、「転職してやる!!」と強く思いました。

5月、6月は会社への怒りがむしろエネルギーとなって、仕事探しに精を出したりしました。
しかし、複数の転職エージェントから「休職状態のままの転職活動は非常に不利だし、仮に転職できたとしても、自分自身が新しい職場で安定して働ける体調を取り戻さないと行けない。だから一度復職したほうがいい。」と助言を受けます。

上司とは顔も合わせたくない、絶対に許せない、
当時の僕はそう思っていたので、会社を辞めたい気持ちと転職活動に失敗する恐怖の板挟みで何週間も悩みました。

結局最後は、休職可能期間の満了を迎えて復職せざるを得なくなりました。
情けない話ですが・・・。

このとき僕は、初めて自分の一つの誤りに気づきました。

いくら上司の関わりで傷ついたとはいえ、
僕は「自分が正解。上司が間違っている。」と強く思い込んでいたこと。
それは、上司に「上司たるものこうあるべき」という期待を持っていたということ。
自分の期待と真逆の振る舞いをする上司に怒りが湧いてしまっていたこと。

僕が感じていたストレスの一部は、自分自身の考え方の偏りにあるのだと気づきました。
上司は悪くないという意味ではなく、「俺のコピーのように仕事ができるようになれ」と言わんばかりの上司の偏った行動と、「上司は部下を信頼して仕事を任せるべき」等という僕の偏った考え方が掛け合わさってストレスが増幅していたんだと思いました。

だからこそ、「もしこの上司を許すことができたら、受け入れることができたら、今後どんなに偏った人と働くことになっても大丈夫なんじゃないか」と考え直すことにしました。

もう一度だけ、僕を傷つけた張本人である上司に向き合い、自分自身の捉え方を変えるチャレンジをしようと思って復職を決意しました。

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2ヶ月弱働いた結果、退職を決意。

復職後、僕は意識して「上司に期待しないようにしよう」「自分の上司像をこの人に押し付けないようにしよう」と努力しました。

その試みはある程度、実践できたと思います。
目を見て普通に会話することもできたし、以前と同じような振る舞いをされても、淡々と身を守るための対処(ときには反抗)をしてしばらくはうまくやっていました。

ですが、9月から1週間、また1週間と過ごすたびにまた体調が悪化し始めました。
どれだけ休んでも、ストレス対処法を実践しても、確実に毎週疲労が溜まっていきました。

カウンセラーと話し合った結果、「上司に傷つけられた当時のことを心と体が覚えていて、上司と同じ空間で働いているときは無意識に常に緊張状態になっていること」が疲労の原因であることがわかりました。

頭では上司を許していても、体が反応してしまう。
それはきっと、「この人から身を守らなきゃ」という生物としての防衛本能が作り出した緊張状態なんだと思います。

そんな状態ではまた体調が悪化しきるのも時間の問題だと思い、事態が深刻化する前に退職を決意しました。f:id:yudaism:20171021011711j:image


今後について

11月前半での退職を決めたものの、次の仕事は何も決まっていません。笑
決断するときは怖かったですが、また倒れることのほうが怖かったので今の状況はやむなしです。

経済的に余裕がなく間を空けずに次の仕事に移る必要もあるので、今は必死に仕事探しをしている毎日です。

不安はありますし、仕事探しでも悩むこと・迷うことの連続ですが、
「きっと大丈夫!なんとかなる!」
と言い聞かせながら頑張っていきます。

どんなに不安があっても、自分の未来への希望だけは持ち続けたいと思います!

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございます! 
ではでは。

秋を告げるキンモクセイの香り

今日は真面目な話を少しお休み。

頭で考えてばかりだとバランスが偏るし、純粋に疲れてしまうので。笑

最近、毎日の散歩コースを歩いているとキンモクセイがいい香りがしてきます。
「ああ、秋になったんだなあ」と感じる、ほっとする匂いです。

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1年前の今頃はまだ東京都のマンション群の中に住んでいたので、こうしてキンモクセイの香りに毎日触れるのは今年が初めて。

実は、「これがキンモクセイの匂いか!」と知ったのは去年の秋でした。

昨年、今の場所に引っ越すキッカケになった近所ののカフェのマスターが、
「今年もキンモクセイのいい匂いがしてきたねえ」
と教えてくれたおかげで、今年は「はっ!この匂いはもしや…!」と気づくことができました。

恥ずかしいですが、去年最初に嗅いだときは「トイレの芳香剤みたいな匂いだな」と思いました。

本当はキンモクセイの香りを真似て、トイレの芳香剤が作られるようになったそうです。僕の感想は順番が逆でした。笑
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(オレンジの小さな花も、一つひとつが小さくてかわいい)

でも、キンモクセイの花はすぐに散ってしまうのでこの色と香りを楽しめるのもあとわずか…

花って本当に儚いなあ…
けど、そんな儚さが美しくて愛おしい。

四季の移ろいや時間の経過を、草花や樹木の変化から感じられるようになると、
「あ、去年もこの花咲いてたな」とか、
「この花、よく見かけるけどなんていう名前なんだろう」とか、
色々と知りたくなってきます。
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そして名前や種類がわかるようになると、
「今年も◯◯が咲く季節になったか~」
なんて思って、より季節が濃く感じられるようになる気がします。

毎年秋はあっという間に過ぎて冬になってしまう気がするけど、
キンモクセイの香り、
茶色く色づいた栗の実、
オレンジ色に熟れた柿の実、
日常にそんな“秋”を見つけながら、季節を存分に味わいたいなと思います。

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「自分には人一倍細く見えている世界」が人生をより豊かにする

 「仕事がつまらない」と感じる要因は、分解してみる実に色々なものがあります。

中でも「そもそも仕事内容に興味が持てない」というのは大きな要因でしょう。
自動車に全く興味のない人が自動車の営業職に就いたら、入り口の部分でかなり辛いと思います。

僕も社会人最初のキャリアは全く興味の持てない「法律」と「半導体」の世界からスタートし、それは辛いものがありました。


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自分が興味を持っていることに気づく

逆に言うと、「自分が興味を持っていること」というのは、自然と周囲の人より詳しくなります。自然とその世界が細かく、深く見えています。

自動車で言えば、車好きの人は車に興味のない人よりも車の構造、仕組み、メーカー、車種、グレード、価格……あらゆる知識が自然と身につき、「自動車」を構成する世界が細かく見えているはずです。

「どれだけその世界が細く見えているか」は、「どれだけ自分がその世界に興味を持っているか」に比例します。

では、自分に人一倍細かく見えている世界は何でしょうか?
「自分に人一倍細かく見えている世界」は人によって全く違うはず。同じ仕事をしていても、その仕事のどの部分に詳しくなるかは人によって違います。
他人との比較ではなく、自分自身の感覚を観察して見つけたいところです。

ちなみに僕の場合、こんな世界が細く見えています。
・人の気持ちや心理
・言葉のニュアンスや温度
・樹木や草花の種類
・複雑な情報(人の頭の中から社会問題など広く)の整理・分析
・自動車の車種、スペック
・カフェ

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「興味」と「仕事」との関係

ただ、自分に細かく見えている世界が、そのまま仕事になるとは限りません。
そういう世界が見つかっても、趣味にとどめておいたほうが幸せなケースもあります。

現に僕の「細かく見えている世界」の半分以上は、今の仕事に直接生かされてはいません。

それでも、「自分がその世界に興味がある」ということは確実です。
ということは、どんな形であれその世界に触れる時間を増やしていくことで、生きている時間はより豊かになるはずです。


自動車の例で言えば、車に関係する仕事に就かなかったとしても、趣味として色々な車に乗ったり、車を好きにカスタマイズすることで「楽しい」と感じる時間は増えるでしょう。

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本物の興味と偽物の興味

(ここから先は、僕の私見であり持論ですが)
一つだけ頭に留めておきたいのは、「自分が興味を持っていること」の中には、偽物も紛れているということです。

「偽物の興味」は、自分が不安や苦しみから脱するために、いわばマイナスの心理状態からプラスマイナスゼロの心理状態になるために興味を持っていることです。

それに対して、「本物の興味」は、自分が楽しいと感じ、より人生が彩り豊かになるような❝ワクワク❞に包まれた興味です。
「本物の興味」を辿って行動していくと、不安のない、プラスマイナスゼロの心理状態から、「楽しい」「嬉しい」「充実している」などのプラスの心理状態になることができます。

「偽物の興味」の具体例を挙げてみます。
たとえば、人間の内面や心理に興味を持っている人がいるとします。
その人は色々な人の深い悩みを聞き、その相談に乗って力になることに充実感を感じるとします。

ではなぜその人は人間の心理に興味があるのか?
それを探っていくと、「自分自身が内面的な問題で苦しんできた。そこから自分自身が抜け出したい。救われたい。」という気持ちが根底にある場合があります。

自分自身が心理的に救われたいのに、同じ分野で人を救おうとする。
本当は自分がやってほしいことを、人にやってしまう。
こうした反動形成的な行動で自分自身が満たされるのは難しいです。
最終的には「自分が救われるために、人を救おうとする」という状態が生まれ、相手に特定の反応を期待したりして、お互いに傷つく結果になる場合があります。

実際に僕は、カウンセラー志望の人や一部のカウンセラーでこういう人に会ったことがあります。
そして何を隠そう僕自身も、このような心理構造で人の内面に向き合う仕事を選び、「転職に出会えていない自分」を救うために人の仕事選びに関わる仕事に就きました。

どんな動機であれ、行動を起こすエネルギーが湧くのは素晴らしいことだと思います。
ですが、「最終的に自分自身は満たされるのか?」という観点で考えると、偽物の興味の先にそれは手に入らないような気がしてなりません。

このことに気づくのに、僕は5年の歳月が必要でした。
ここで書いていることは、正しいかもしれないし間違っているかもしれません。

ですがもし正しいとしても、僕は身近な人が「偽物の興味」を原動力に人生を歩もうとしているのを見ても止めることはしないと思います。

僕がここに書いたのはあくまで「自分なりの答え」に過ぎないし、仮に相手にとって的を射たことを言っていたとしても、「その人自身が考え、決めて、行動した結果から学ぶ」という重要な機会を奪いたくないからです。
「偽物の興味」に突き進み、最終的に自分自身が満たされなかったとしても、人生で最も大切なことは「自分で考え、自分で決めること」だと思うからです。

色々言いましたが、
・あくまで僕の私見であること
・どんな動機の興味であれ、その方向に進んでいくことが良いと思っていること
を最後に書き添えておきたいと思います。

 

自分に必要な"ミニマム睡眠時間"を知る

30歳を迎えて、最近ようやくわかったことがあります。

それは「自分に最低限必要な睡眠時間」です。

気づくのが遅い気もしますが、実は、自分の"ミニマム睡眠時間"をはっきり把握している人は意外と少ないような気がします。

きっと、
・◯時間は寝るという明確な基準はない
・慢性的に睡眠不足がちだけど、仕事や付き合いで帰りが遅くなるときもあるし仕方ないと思っている
・仕事が休みの日は遅くまで寝てしまう
という人が多いんじゃないでしょうか。

 

 

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"ミニマム睡眠時間"に気づいてからの変化

僕の場合は7時間を切るとガクンと回復度合いが落ちることに気づきました。 

これまでは周囲の真似をして短時間睡眠のハードワーカーになろうとしてみた時期もありました。
でも結局、日に日に疲れが溜まり、少し休んだくらいでは心身が回復できないほどまで疲弊しきっただけでした。 

3度目の休職で睡眠の重要性と、「自分は思っていたより長く寝ないと持たないタイプだ!」という事実に気づき、9月に復職した後、毎日必ず7時間以上は寝るようになってからは土日の疲労感がかなり違います。

以前は土日に全く動けないくらい疲弊しきっていて、どんなに工夫して回復に努めても翌週に疲れを持ち越してしまっていたのが、この1ヶ月は週単位で比較的疲れを清算できている感覚があります。

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自分に必要な"ミニマム睡眠時間"を見つけるためのポイント

とはいっても、自分に必要な"ミニマム睡眠時間"を見つけるのは意外と難しいです。

それは、心身の調子は睡眠だけでなく精神的ストレスや体内のバイオリズム等、他の様々な要素に影響を受けて左右されるものだからです。

そんな中でも、僕は2つのことに気をつけて「7時間」という水準に気がつくことができました。

①他人の睡眠時間と自分の睡眠時間を比較しない

 一つは、他人との比較をやめることです。
誰の身の回りにも、毎日寝る間も惜しんで働いていながらエネルギッシュな人がいると思います。
彼らに生活リズムを尋ねてみると、「よくそれで体が持つな」と思いつつも、「この人を見習ってもっと仕事に打ち込まなければいけないんじゃないか」と不安に駆られることもあるかもしれません。

ですが、"ミニマム睡眠時間"は一人ひとりまったく違います。
一日2,3時間しか寝なくても働ける「ショートスリーパー」と呼ばれる人もいますが、それはごくごく稀なケースです。

睡眠時間を長く取らないと回復できない人ほど、損をしている気持ちになったり、寝ている時間をもったいなく感じてしまったりするかもしれませんが、

いざ体を壊してみると、それがまったく的はずれな考えであることに気づくと思います。笑

周りは気にせず、自分自身のことだけを知ろうと心がけたいところです。

 

②体の感覚に神経を集中して、自分の疲れ度合いと睡眠時間の関係を知る

僕たち現代人は、起きている時間の中で体の感覚に集中している時間が極めて少ないです。

ほとんどの時間は、何かの情報に触れ、それを処理したり思考を巡らせたりすることで忙しくしていて、常に気が散っています。
そんな状態では、体の疲れ度合いを正確に知ることは難しくなります。
疲れて何もする気が起きなくなったり、体調を崩したりして初めて、「思っていたより疲れていたんだな…」と悟なんてことも…。

そうなる前に一度、TVやスマホ、人との会話などの情報を中断して、ベッドに横になってみてください。
その状態で目を閉じ、全身の力を抜いて、自分の体の感覚に耳を済ませてみます。
そうすると、大抵の場合「あれ?思っていた以上に疲れているな」と感じるはずです。

日中の活動量や睡眠時間は、そのとき感じた疲れ度合いに合わせて組み立ててみると無理がないと思います。

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まとめ

残念ながら十分な睡眠をとることで心身の健康は保てる!というほどシンプルではないのですが、
「睡眠時間」というコントロールが可能な要素を改善していくことで、確実に心と体にはプラスの影響があるはずです。

若いうちは多少寝不足でも無理がきくかもしれませんが、無理のしすぎは何一つ良いことがありません。(ホントに)

健康が手元にあるときだからこそ、ぜひ自分の体に質問してみてください。

「この体に最低限必要な、"ミニマム睡眠時間"は何時間ですか?」

四季の移ろいを感じる

今日は「四季を感じること」がもたらす豊かさについて書いてみます。

以前にも書いたように僕は2年半ほど東京都中央区に住んでいたのですが、
都内の暮らしで意外と辛かったのは四季の移ろいを感じられなかったこでした。

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(当時住んでいたマンションからはビルしか見えず)

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(自宅の目の前も車の往来が激しい大通り)

正確に言えば、自然の風景、樹木・草花を見て四季の変化を感じることが少なかったんですね。

毎朝家を出て仕事に行って、
オフィスの中でパソコンとにらめっこして一日を過ごし、
家に帰ってまた屋内で過ごして、翌朝になる。

休日も、電車に乗るか車を借るかしない限り、木々が生い茂るような風景に触れることはできませんでした。

その点、都内から引っ越してからは毎日四季の移ろいを感じることができます。

道端に咲いている花。
樹木の葉の色。
木になる果物の熟し具合。
畑になっている野菜の種類や育ち具合。
駅に行く途中に見える山の色。
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(秋の代名詞、コスモス(秋桜))

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ミズナラの木にはまだ青いドングリが)

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(ミカンもまだ青くて熟していない)


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(秋ナスは食べ頃)


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(山の色はまだ盛夏の名残を残しています)

こうした色々なものが、季節の移り変わりを感じさせてくれます。

都内で寝る間も惜しんで働いていたときは、こうしたものに意識を向ける心の余裕もなかったけど、
「四季を感じる」という体験を失ってみて、取り戻してみて、やっぱり自然の流れの中で生きていることを感じるって大事だなと思います。

都内で働き詰めの生活に不自然さを感じていたときと比べると、今は少しだけ人間の自然な生活に戻ったような気がします。

僕のように感じる人がすべてではないかもしれませんが、「四季を感じることで心が癒される」と感じる方は、意識的にそういう時間を作ってみてはどうでしょうか。

答えが出せない問題もある

悩み事があって、考えても考えても答えが出ないときってありませんか?

悩みの中身が深刻なものであるほど、答えが出ないストレスは大きくなります。

数ヶ月前、僕自身がそうでした。
「今の会社にはもう耐えられない。転職したい。でも、休職中のまま退職すると転職活動に不利と専門家からアドバイスを受けた。自分が次に何をやりたいのかもわからない。どうすりゃいいんだ…」

今は結果的にその苦しい状況を抜け出せたのですが、今日はその経験から学んだことについて書いてみます。

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「考える→答えが出ない→また考える」の末路

「結果的に」抜け出せた、と書きましたが、僕は最後まで考え続けることしかできませんでした。。

結局、休職期限という時間切れを迎えて、転職せずに復職することになりました。(その選択肢を選びました、とは言えない…)

振り返ると、考えすぎた結果不必要にストレスが溜まったり、「答えが出ないこと」で不安が雪だるま式に増幅したり、いいことは何一つありませんでした。

「じゃあ、考えるのをやめればいいじゃないか」という話なのですが、そう思うだけで実践できるほど、事は簡単ではありません。

それは、「考える」という行動の背景には「間違いのない結論を出さなければ」という焦りや不安があるからです。表面の行動だけ変えようとしたところで、深層にある焦りや不安はなくならず、また別の行動に形を変えて表出してしまうだけです。

悩み事を抱えているときというのは、大抵の場合、経験したことのない未知の問題にぶつかっているときです。

「選択を誤った結果、自分の身に良くないことが起きたらどうしよう」という防衛本能が、不安な気持ちとなり、「考える」という行動の動機になる。
それ自体は生物としてとても自然な反応なのですが、考えることで不安が増幅して不幸になってしまったらなんだかもったいないですよね。

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結論:「答えが出せない問題もある」ことを知って、待つこと

「じゃあどうすればいいの?」という質問への僕の答えがこれです。

僕たちが悩むようなことというのは、多くの場合答えがすぐに導き出せない複雑な問題ばかりです。

「一つの問題に、一つの答え」というシンプルな構図であればいいのですが、残念ながら僕たちが直面する問題のほとんどは様々な要因が複雑に絡み合ってできたもの。「すべてうまくいく、100%の答え」は存在せず、どんな選択をしても何かを捨てなくてはならないので、みんな悩むんだと思います。

だから、「どうしたらいいと思う?」と問われたら、胸を張ってこう答えていいんだと思います。

「わからない!!」

だって、考えたってわからないんだから。

大人の発想だと、「わからない」という答えは答えになっていない、とみなされます。
きっと、「ちゃんと質問に答えろ」とか、「考えてないだけだろ」なんて言われてしまうでしょう。

でも、「わからない」だって立派な答えです。
「考えたけど、わからない」って、ちゃんと質問には答えています。

大切なのは、「”今は”考えてもわからない、答えが出せない」と思うこと。
「今は」というのがミソです。

今すぐに決断しなければならい切羽詰まった状況でない限り、大抵の問題はこうやって自然と答えが出るまで焦らず待つことも一つです。
その場で考え尽くして答えを出す、だけが選択肢だと苦しいですが、答えが出るまで待つ、という選択肢が加わるとだいぶ心が楽になるはずです。

よくよく考えてみると、本当に「今すぐ」決断しなければいけない問題なんて、実はすごく少ないと思うんです。
でも僕たちは焦ったり不安を抱えたりしているときほど、「今すぐじゃなきゃダメなんだ!」って思い込んでしまうような気がします。

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焦らなくて大丈夫。何があっても、ちゃんと生きていける。 

大きな悩み事を抱えているときほど、問題を自分の生死に関わるくらいの大きさに感じるものです。

でも実際は、どんな選択をしようと、生きていくことはできるはずです。

仮に自分の選択がマイナスの方向に働いたとしても、命まではなくなりません。
少しお金を損したって、人が離れていったって、時間が経てばちゃんと戻ってくるはずです。

だから、「ちゃんと生きていけるから大丈夫」と自分に言い聞かせましょう。

もしそこまでは思えなくても、悩み事で行き詰まったときには
「今は考えてもわからない!」
「考えるのやめた!ちょっと横に置いておく!」
という”答え”を出して、待ってみてはどうでしょうか。

僕もまだまだ実践できないことばかりですが、少しずつでも、不安にコントロールされるのではなく、不安をコントロールできるようになっていきたいと思っています。

 

何のために生きるのか

今日は抽象度の高いお話。

世の中にはありとあらゆる情報が出回っていて、色々な人が本当に色々なことを考えて生きているけど、「結局のところ、人は何のために生きるのか?」とよく思います。

誰もが一度はぶつかるであろうこのお題、今のあなたはどう答えるでしょうか。

ちなみに僕自身は、この問いに最初にぶつかったのが中学2年生の進路決めのときです。

それ以降、何度も何度も同じテーマについて考え続けていますが、齢30になってようやく、ある程度の「答えの形」が固まってきたこともあり、一度言葉にしてみたいと思います。

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答えはない。「自分がどう思うか」がすべて。

先程の問いにはきっと人の数だけ答えがあって、それらは一人一人の「あり方」や価値観に支えられているでしょう。

「幸せになるため」
「世界から貧困をなくすため」
「人の命を救うため」
「お金持ちになるため」
どんな答えでも、その答えが本人の人生をより彩り豊かに、より濃いものにしている限り、それは正解なんだと思います。

他人と自分の答えを比較する必要はないし、どんな生き方でも等しく尊いと僕は思います。
何のために生きても自由です。
どんな生き方をしても自由だと思います。

ただ、1つだけ思うことは「自分なりの答え」を持っていたほうが間違いなく、自分の人生は豊かになるということです。

人生に限らず、仕事も、プライベートも、すべての時間は「自分なりの目的や目標を持つこと」で格段に濃くなります。
仕事で言えば、他人から与えられた無味乾燥でつまらない仕事も、自分なりの意味・意義や目標を見出した時点で、有意義な楽しい仕事に変わるはずです。

 

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「何のために生きるのか」への僕なりの答え

ちなみに僕は、「何のために生きるのか」という問いに今ならこう答えます。

「沢山のものを見て、沢山のことを経験して、それらについて深く考えて、多くのことに気づき、学ぶため。言い換えると、生まれつき持っていた精神の水準より一段高い水準まで精神を高めて死んでいくため。」

死ぬときには、少なくとも形あるものをあの世に持っていくことができません。
最後に「自分の人生がよいものだった」と思えるかどうかは、自分が過ごしてきた時間の質によるでしょう。

  • 自分が本当に大切にしたいものを大切にしたか。
  • 見たいと思うものを見て、経験したいと思うものを経験したか。
  • 悔いのないくらい、自分自身や家族、人と向き合ったか。
  • 物事を深く考え、洞察し、沢山の本質を見出すことができたか。
  • 自分の死んだ後のことを考え、一つでも多く遺したいものを遺すことができたか。

こうして「死ぬ瞬間」をリアルに想像し、自分の人生を意識的に意味付けてから、僕の関心の対象は明らかに変わりました。

恋愛、結婚、趣味、仕事、ファッション、テレビ、家、車、人付き合い。
人生を形作る要素の中で、身に纏うもの、お金といった形あるもの、流行、社会を形作る情報といった形のないもの。

いずれにせよ、「時代によって価値が変わるもの」に相対的に興味がなくなっていきました。

それよりも、時代が変わっても不変の価値を持つ「どんな状況にも対処できる自分を作ること」を目的に、本当の知識や賢さを身につけることに価値を置くようになりました。

このブログのテーマを「心を自由にする」と置いたのも、心の囚われをなくし、自分と他人を自由にすることが精神性を高めることにつながると考えたからです。

このブログでも僕が直面した人付き合いの悩みや心の問題など、一見ミクロに見える問題も沢山取り扱っていますが、そのすべての根底に流れているのは「どんな状況にも対処できる、しなやかで強い自分を作りたい」という目的意識です。

 

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答えが見つからずに悩んでいる人に共有したい言葉

色々書きましたが、最初に言ったように、何に価値を感じるかも何のために生きるかも自由です。

そんな中、色々考え思考錯誤した結果、僕という一人の人間が辿り着いた結論らしきものがこれ、ということを書いてみました。

思えば、僕が真剣にこの問いと本当の意味で向き合ったのは高校生3年生のときでした。
僕はなんとなく無意味な毎日を過ごしていた18歳の秋に、最愛の親友を亡くしました。

人生に目標を持ち、目的を見出そうとしていた親友が死に、何も考えずに無為に生きている自分が生き残る。

そんな現実に直面したときから、僕はずっとこの記事のタイトルと向き合っています。
考え始めた出発点は自分が生き残ってしまった罪悪感でしたが、いつしか、人生の意味を考えることで自分自身の人生が濃密になり始めました。

きっとこれからも、その友達の死を無駄にしないために、自分の人生をより有意義なものにするために向き合い続けていく問いなんだと思います。

最後に、中学2年生のとき、進路に悩み人生の目的が見出せずに苦しんでいた僕に、その友達がかけてくれた言葉を共有したいと思います。 

「"何のために生きるのか" を考えて、逃げずに向き合っているお前は本当にすごいと思うよ。

周りを見て見なよ。みんな、そんな深い問いにぶつかることなく、なんとなく目の前の好き嫌いで自分の人生を決めてるんだよ。

そんな中、こんなに大切な問いに真剣に悩んでるお前の姿勢は本当に尊いと思う。

その問いに対する答えは俺自身もわからないし、いいことは言えないけど、今のお前が素晴らしいってことだけは忘れないでいてほしい。」

 

ここでも、何より尊いのは「自分の人生にどう向き合っているか」という"あり方"だと、僕は思います。

全身の力を、意識的に抜いてみよう

今日は短めのお話。

日常生活で、無意識のうちに体に力が入ってることってありませんか?

少なくとも僕は、特に仕事中などは全身に力が入っています。
きっと多くの人はそうなんじゃないかと思います。

情報に敏感にアンテナを立てて、常に情報処理モードで頭が思考している状態は、一種の緊張状態です。

呼吸が浅くなり、思考に影響を与えやすい視覚・聴覚が過敏に働いている現代人の状態は、原始の時代に外敵から身を守ろうと緊張状態に置かれていた人間に近いものを感じます。

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最近つくづく感じるのですが、この「自己防衛」とも言える緊張状態、ものすごく疲れるなあと。

特に、すぐ身近に攻撃的で苦手なタイプの人がいたりすると、この緊張状態は強くなり、時間が経つほど消耗も激しくなります。

仕事中に限らず、ネットやTV、スマホを通じて絶えず情報に触れ続けている現代人はきっと、無自覚なだけで、四六時中緊張状態にあるのではないかと思います。


意識的に、緊張状態を解く

そんな緊張状態から来るストレスを解消する方法を、最近見つけました。

シンプルですが、「呼吸に合わせて、意識的に全身の力を抜いてみる」という方法です。

僕はこれを、
・寝る前
・シャワーを浴びているとき
・食事中
などにやっています。

やってみて感じたのは、
①何もしていないときでも、体は無意識に緊張していること
②思考を回しているときほど、体に力が入っていること
③意識して力を抜くと、それだけで休まる感覚があること
の3つです。

特に③はその効果に驚きました。
おかげで、寝る前に実践すると驚くほど寝付きがよくなります。
体と心はやっぱりつながっていて、こうして体を先に緩めることで、自然と心もリラックスできるんですね。

また別の記事で書こうと思いますが、この方法は「自律訓練法」という、自律神経の働きを回復させるトレーニングとも通じるところがあるそうです。

簡単な方法ですが、効果は絶大なのでぜひ試してみてください。

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