「癒される」のはどんなとき?
最近「癒された~」と思ったのはいつだろうか?
心地良い音楽を聴いたとき。
かわいい動物と触れ合ったとき。
子どもと遊んだとき。
色々な場面で感じる「癒される感じ」は、自分たちが思っている以上に大切なものなのかも…と最近思う。
今日は、そんな「癒やし」で生活を豊かにするヒントについて考えてみた。
「癒される」は「楽しい」よりも深い感覚
僕たちが「癒される」と思うとき、心の中にはどんな変化が起きているんだろう?
どうも、「楽しいとき」と「癒やされるとき」は性質が違うような気がする。
何か肩の力が抜けるような、心が温まるような、緩むような、心が何かで満たされるようなあの感じ。
「癒される」と感じるときは、何か自分にとって大切なものを思い出したような感覚になる。
「楽しい」と感じるのが、「脳が快感を感じているとき」だとすれば、
「癒される」は、「心のもっと深いところで、自分の存在が満たされているように感じるとき」のような気がする。
心の奥深いところで感じるものだけあって、僕たちという存在にとって「癒される」という感覚はとても大事なものなんだと思う。
自分が「癒されるなあ…」と思ったときを思い出してみる
きっと、どんなときに癒されるかは人によって違うと思う。
僕は、散歩をして季節の変化を感じるときや、子ども(自分の子はいないけど)と遊んでいるとき、晴れた日の空を見上げているときに「癒されるなあ…」と思う。
でも、僕たちは自分がどんなときに癒やされるのかをよくわかっていないし、「癒されるとき」を自分の生活に意識に取り入れようとはあまりしない。
大切なのは、まず自分がどんなときに癒やされるのかを知ること、そしてそんな瞬間を自分の生活の中に少しでも多く取り入れていくことなんじゃないだろうか。
僕の実体験を話すと、都内に3年弱一人暮らしをしていて(当時仕事も大変で)心の渇きが限界に達したとき、気がつくと頻繁に緑の多い公園に行くようになっていた。
その頻度が高くなるにつれて、僕は自分の心が明確に自然豊かな環境を求めていることに気がついて、都心から離れてはいるけど自然の多く残る環境に引っ越すことに決めた。
引っ越してから毎日のように家の近辺を散歩しているけど、散歩しながら自然の風景を眺めていると、都内でするどんな遊びや娯楽よりも深く心が満たされる感覚がある。
心になんとも言えない充足感が広がって、「なんかいい感じ」になれる。
「癒やされる時間」を生活に取り入れる上での一番のハードルは…?
美味しいご飯を食べているとき、
熱いお風呂に使っているとき、
仮に自分が癒やされるときを見つけられたとしても、意外と生活の中にその瞬間を増やそうとする人は多くないような気がする。
「癒される時間」よりも、皆仕事の時間であったり、人と会う約束であったり、何か他の時間を優先してしまう。
理由は「癒される時間」をそれほど大切に思っていないか、それ以外の時間の優先順位が必要以上に高くなっているかのどちらかだけど、感覚的に「他にもっと大切なことがある」という錯覚に陥っていることが多い。
その焦りにも似た錯覚は、大抵の場合何かの不安感情に根ざしていることが多いんじゃないか。
「仕事をしないと、必要とされなくなってしまうんじゃないか」
「前から約束していた予定だから、キャンセルしたら相手に嫌われるんじゃないか」
そんな不安を解消するために、いわばマイナスに触れている心の状態をプラスマイナスゼロにするために、僕たちは日々色々なことに追われているような気がする。
でも実際、恐れていることは9割方実現しないんだよね。
だったら、心をプラスの状態にする「癒される時間」の優先順位を上げてみたらどうだろう?と思うわけです。
僕もまだまだ試行錯誤を繰り返している最中だけど、仕事も仕事以外の時間も、起きている時間のうちなるべく多くを心満たされる時間にしていけたらいいなあ。