ココロを自由にするブログ ~自信を育て、しなやかな自分を創る~

不安に振り回されず、自由に生きる。3度の休職を乗り越えた筆者が考える、心の自由を手に入れ、幸せな人生を歩むための、考え方と行動のヒント集。

自分の「定点観測」で、心に栄養を。

以前、「"ないもの"ではなく"あるもの"に目を向けよう」という記事を書いた。

叱られたときや物事がうまくいかなかったときに、必要以上に落ち込まないために
・できなかったことより、できたこと
・苦手なことより、得意なこと
と言った具合に、「あるもの」に目を向けることをオススメした。

yudaism.hatenablog.com


今日はそれをより実践的にした、「セルフ定点観測」という方法を紹介したいと思う。


もともとの問題意識

大人になると、周囲から褒められることは少ない。
周囲からのフィードバックはマイナスのものに偏り、「できたこと」より「できなかったこと」、「得意なこと」より「不得意なこと」について指摘される機会が圧倒的に多いんじゃないかと思う。

元から自己肯定感の高い人はまだしも、周囲からこんな関わりが続けば誰でも自信を失う方向に向かってしまう。
「私はあれもできないんだ、これもできないんだ」と数を数えていくほど、「私は価値のある人間なんだ」と思うことは難しくなって当然だと思う。

そんな負のスパイラルを抜け出すための一つのアプローチが、自分で自分を褒めること。
実は僕自身、最初に「自分で自分を褒める」という考え方を聞いたときは「そんなの効果があるわけないじゃん。」と思っていたんだけど、やり方を工夫すれば、子供だましなどではなくちゃんと効果のある方法になる。
その方法が、今日紹介する「自分の定点観測」です。

「自分の定点観測」のやり方 

「自分の定点観測」は、一言で言うと「定期的に自分のプラス面だけを書き留める習慣をつけて、書きながら、読みながらニンマリしましょう」という方法。

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やり方のポイントは3つ。
①定期的に書く
②プラスのことだけ書き留める
③内容を整理しようとしすぎない

この3つが守られていれば、やり方は正直なんでもいい。

ちなみに僕は毎週末1時間位の時間をとって自分の定点観測をしていて、こんな運用にしている。

〈yudai流運用〉
・毎週1回書く。調子がいいときほどサボりがちだけど、そんなときこそ余計に書く。
・「心理面」、「仕事面」、「生活面」の3つの観点でプラスのことを書く。
・書くのは、主に「以前はできなかったのにできるようになったこと」。
スマホからEvernoteに書き込んで、タグ付けをして後々見返せるようにしている
・ファイルのタイトルは「yyymmdd_yudaiの最近の成長」。これで自分の変化が時系列でわかる
・たまに、タグでノートを検索して何週間分かをまとめて見る。1ヶ月分も見返すと、かなりの変化や成長が感じられてニンマリする。 

要は「自分のプラスの側面に目が向き、褒められて脳が喜ぶこと」が大切で、カッチリやり続けること自体が目的ではない。
頻度や書き方は個人個人に合ったものがあると思うので、試行錯誤してみると良いと思う。


「自分の定点観測」を実践するメリット

この3ヶ月ほど実践してみて、僕はこんな効果を感じている。

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・自分のプラスの変化を感じて、前に進んでいる実感が持てる
・頑張っている自分を認めることができ、少しずつ自信が持てるようになる
・それによってモチベーションが上がる
・精神的に苦しいときほど、見返したときに心に栄養が渡って少し回復できる
・叱責やマイナスのフィードバックばかりしてくる人を、「マイナス面しか見ない、視点が偏っている人」だと認識することができる。その結果、以前ほど叱責等によるダメージを受けなくなる
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以前は、受けた叱責の内容を自分自身の頭の中でもリピート再生しており、「俺はこんなこともできないんだ…」と言い聞かせていたんだから、そりゃあ自信が育つはずもない。

プラス面だけ書き出そうとすると、書こうとする時点で一生懸命プラスの事実を探そうとするので、そのプロセス自体が、「"ないもの"ではなく"あるもの"に目を向ける」ための良いトレーニングになる。

慣れないうちはプラスの事実を見つけるのが難しいし、書いていてもこっ恥ずかしい気持ちになるのだが、続けているうちに自然とできるようになるので一度試してみてほしい。

まとめ 

そもそも、大人になるとなぜ褒められることが減るのだろう。
褒められないだけならまだしも、「叱る」という関わりだけが残ってしまうのはなんでだろう。

「大人なんだから褒められなくて当たり前だろう」みたいな最もらしい意見も聞こえてきそうだけど、僕は大人だって人間で、褒められたいものだと思う。
褒められたり認められたりすれば人間の本能的に嬉しくて当たり前。
幼少期に褒められ足りた大人なんてほとんどいないと思うし、「大人なんだから」は理由になっていないような気がする。

この問いを僕なりに考えてみると、叱る側の心にある
・「相手がこれをできないと~(ネガティブな結果)~が起こってしまう」という恐怖心
・人のできないことを指摘して、心理的に優位に立つことで満たされようとする虚栄心
の2つが褒めるアプローチではなく、できていないことを見つけて叱責するアプローチにつながっているような気がする。

逆に言えば、褒めるアプローチは自分自身の心が満たされていないとできないものだと思う。
自分自身が自分を認め、心理的安全が確保されているからこそ、人のこともフラットに認めることができるんじゃないだろうか。

そう考えると、自分自身に心理的な問題(虚栄心や恐怖心)を抱えている人から必要以上の叱責を受けることでダメージを負うのはとても勿体無い。
だからこそ、自分で自分を保ち、必要以上のダメージを負わなくて済むような対処法が必要だと思うし、「自分の定点観測」はその対処法の一つなんだと思う。

自分の心に、いつも優しさと栄養を。

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