ココロを自由にするブログ ~自信を育て、しなやかな自分を創る~

不安に振り回されず、自由に生きる。3度の休職を乗り越えた筆者が考える、心の自由を手に入れ、幸せな人生を歩むための、考え方と行動のヒント集。

「自分に自信が持てる仕事」をしよう

世の中には2種類の仕事があると思う。

自分に自信を持てるようになる仕事と、自分に自信を失っていく仕事。

僕の肌感覚でしかないが、(僕も含め)自分に自信を失っていくような仕事から離れられないでいる人がとても多い気がする。
自分に自信が持てるような仕事に就いている人は少数派じゃないかと思うけど、確実にそういう人は存在する。

今日は、仕事というものをこの2つの側面から眺めてみたい。


自分に自信を持てるような仕事に就くこと

仕事は、自分を表現して「最高の自分」に近づくための一つの手段だと僕は思う。

自分の強みが生かされ、それを人に分かち合うことで人から喜ばれ、その結果として生活の糧も得られる活動が本来の「仕事」。

天職に就き、仕事を通じて眩しいくらいに輝いている人はよく「私は“お前がやれ”と言われている気がするようなことをやっているだけ」と言う。
「天の配材」とも呼べるような場所に身を置き、自分の使命と自己表現の場が重なり合う場所で仕事をすることが、どれだけ高額な報酬にも代えられない最高の報酬になるんだと思う。

「そんなのは綺麗事だ!」という批判は何度も聞いてきたけど、その人にとってはある意味それは真実なんだと思う。
「そんな世界なんて存在するわけがない」と思っているから実際にその思考通りの世界が実現しているだけで、「仕事を通じて自分が表現でき、働いていて楽しくて仕方がない世界が存在する」と本気で思っている人にはそうした世界が吸い寄せられる。

仕事という存在を自分の好きなように定義でき、そのマインドセット一つで仕事から得られるものが変わるとしたら、自分はどんな意味を仕事に与えたいだろう。
人生の大半の時間を費やす営みだからこそ素敵な、心満たされる時間にしたいと、僕は思う。


「自分に自信を失っていく仕事」から離れられない構造

しかし現実には、世の中には自分に自信を失っていくような仕事が溢れている。

歴史を遡ると、原始の自給自足生活から、貨幣経済が生まれ文明が発達して仕事が分業体制の色合いを濃くしていく中で、仕事は組織単位で行うものに変わってきた。
個人目線で見ると、仕事は自ら選んだりその中身をデザインするものではなく、パッケージ型で組織から与えられるものへの変遷を遂げていると思う。
そのパッケージは組織の都合で作られたものであり、その中には自分の好まない要素も多く含まれる。

「自分に自信を失っていく仕事」とは、仕事を構成する要素の中で自分の好まないものが多く含まれているものだと思う。
最たるものがこの5つで、これらの要素の含有率が高いほど、仕事の時間はより苦痛を伴うものになる。
-------------
・苦手なこと
・嫌いなこと
・やっていて辛いこと
・価値を感じないこと
・自分の倫理観に反すること
-------------

こうした要素が多く含まれている仕事で、自分自身という一人の人間を表現することは難しい。
「私はこんなこともできるんだ!」
「私にはこんな強みがあったんだ!」
などという前向きな自己発見や、自信の向上もかなりしづらいと言っていい。

このような仕事を通じて報酬を得ても、それはどこか苦しいことをした代わりに支払われる慰謝料のようで、湧き上がるような喜びは少ないような気がする。

皆薄々このことは感じているし、気づいているんじゃないかと思うけど、そんな仕事から離れられないのはどうしてだろう。

理由はいくつか考えられるけど、今の仕事を通じて自分を表現できず、自己評価が下がることによって
「この仕事を辞めたら他の仕事に就けるんだろうか。誰か自分を必要としてくれるんだろうか。」
「自分なんて、仕事を変えたとしても給料がガクッと下がるのが関の山だ。家族を養っていけるんだろうか。」
などの待遇面の不安が大きいんじゃないだろうか。

不安が大きければ大きいほど人は目の前の仕事や環境にのめり込んで、自分の身を守ろうと必死に働く。
目の前の仕事に一生懸命取り組むこと自体はとても良いことだと思うけど、不安から生まれるこの一生懸命さが自分の視野を狭め、
「この職場以外に自分を必要としてくれる場所なんてないんじゃないか」
などと感じさせてしまう側面もあるような気がする。


まとめ

どうすればこうした不安から抜け出せるのか?
このテーマは書き始めると相当なボリュームになりそうなので別記事にまとめたいと思う。

ただ、今回一つだけ言いたいのは、自分の「市場価値」という概念を過度に気にしなくていいということ
人についても「市場価値」という言葉が使われるようになって久しいが、これはマイナスに働くと人の不安感情を煽る危険な言葉だと思う。

人という一つの生物。合理も非合理も、言語も非言語も持ち合わせている多様で流動できな存在である人が、「人材」という名の経営資源だという、極めて一面的な切り取られ方をする。
そこにあるのは経済合理性の追求であり、人という生き物の根源的幸せの追求ではない。人の幸せを願うやさしさや愛は、そこにはない。

「市場価値」という言葉は、どこかの転職支援会社が人々の不安を煽り、自社のサービス発展のために作り出した恣意的な言葉のような気がする。

自身の市場価値を高めることを目的にした自己研鑽の多くは不安を起点にした行動であり、前向きな「ワクワク」や魂の喜びを起点にした行動と違って毒にもなりうる。

市場価値という概念は「自分に自信が持てる仕事」や「仕事を通じて自分が好きになれる、満たされる」といった世界観とまったく別軸の、一面的な考え方に過ぎないことは胸に刻んでおきたい。

 

今回は、どうせ働くなら自分に自信が持てるような仕事をしたほうが幸せだし楽しい、ということが書きたかった。
現在、僕自身が今の仕事を続けていくかどうかの帰路に立っていることもあり、ここでのまとめを実践しながら、また気付きのサイクルを回していきたい。
「どうすればこうした不安から抜け出せるのか?」の続きは、また別記事のお楽しみに。

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