"感謝"の本質
「ほら、"ありがとう"って言いなさい」
誰もが幼少期に親に言われた言葉
この言葉にずっと違和感がある
–感謝は「しなければならないもの」–
そう覚えてしまうと、
人からの好意や親切は「当たり前にもらえないもの」「特別にもらえたもの」になる
自尊心の育っていない子どもは、
「自分は本来、この好意や親切をもらうほどの価値はない存在なんだ」
と思ってしまいかねない
だから、言わされた「ありがとう」は
「こんな価値のない私に親切にしてくれてありがとう」という贖罪の言葉になってしまう
感謝って、「自分の内側から泉のように湧き上がってくる感情」のことだと思うんだ
それって、人としてかなり高次の感情で
子どもに求めるにはあまりに難しい
形から覚えこませるのはやっぱり違う
子どもはある意味、大人から受け取ることができて当たり前の存在
だって、まだ自力で生きていくことができないから
守られて当たり前の存在なんだ
当たり前に、感謝も要求されず、
与えられて、与えられて、
その結果「自分は愛されているんだ」と感じることができて、自尊心が育つ
そうして自尊心が育っていった先に、
人からの好意や親切が「当たり前ではない」ということが、
自然と、しみじみと感じられるステージが来る
義務感や罪悪感で感謝をしなくて大丈夫
「ありがたいなあ」とじんわり感じたときに口をついて出る「ありがとう」
そんな、自然で、実のある感謝をしたい