働きながらも、心を失わないでいること
会社を休んで3週間。
体調も少しずつ回復し、今週は後半から少し出勤しました。
久しぶりに出勤した際、上司Kさん(直属の上司でない)から
「突然だけど明日、飲みに行かない?
会社には来れなくてもいいから、体調的に外に出れそうだったらご飯だけでも行こうよ。俺、そういうの全然気にしないから。」
と声をかけてもらいました。
役職のある人が、会社に来なくても夜会おうと言ってくれるなんて…
Kさんの気遣いと思いやりに胸が熱くなりました。
今日は、そんな上司Kさんとの会話で心を動かされたテーマについて書きたいと思います。
現代に働くことで、失われるもの
僕たちは、資本主義社会で働く上で、「効率性」というテーマに縛られています。
同じ成果を出すならより早く、より安く済ませ、それによって多くの利益を確保することが求められます。
会社組織において、効率性を追求した組織編成や社内ルール、システムの下で働く一人ひとりの従業員は、置かれた環境に一生懸命自分を適応させようとします。
組織に必要とされ、自分の生活を確保するためです。
その中でないがしろになりがちなのは、一人の、生きた魂を持った人間の感情であり「心」です。
「社内のシステムが前近代的で使いにくく、ストレスが溜まる」
「仕事上の悩み・不満を上司や組織に打ち明けても、聞く耳を持ってもらえない」
「売上を上げるためとはいえ、あまりに強引な営業手法に嫌気が差す」
働きながら生じる様々な感情や違和感。
それは、周囲に表現しても、受け止めてもらえないことが多い。
組織に意見が聞き入れられるかどうかは「経済合理性があるかどうか」一点のみによって判断されるからです。
そのうち「どうせ言っても無駄だから…」と感情を出さないようになります。
そうして我慢に我慢を重ねるストレスから逃れるため、最後には自分が感じたはずの感情は、蓋をして感じなかったことにします。
こうして感情を失っていくこと。
そこに経済合理性を求める社会の影で人間らしい心が失われていく危うさを感じます。
前回の記事で書いたとおり、僕もこうして心を失いかけて体調を崩しました。
これまでの3度にわたる休職も、この記事と同じ構造でストレスを溜めたことが一因です。
人の心を持ち続けている上司Kさんの言葉
冒頭に挙げた上司Kさんは、僕が会社を休んでいる最中もこまめにメールをくれました。
メールに並んでいたのは業務に一切関係のない、
「体調はどうだー?」
「前々から言おうと思ってたんだけど、体調が戻ったら今度飲みに行こう!」
といった僕のプレッシャーにならない言葉ばかりでした。
形式的な心配ではなく、人として気にかけてくれていることが伝わってくる、本当に嬉しいメールでした。
そのKさんは、食事の席で僕にこう言いました。
「結局、俺たちは人間だってことが大事だと思うんだよ。
コールセンターの仕事でも、技術的な知識とか社内ルールとか、そういうものを完璧に覚えてお客さんに説明することより、”目の前の人にどんな姿勢で向き合うか”が大事だと思うの。
マニュアル通りの対応なんてロボットでもできる。
いちばん大事なのは、マニュアル通りにいかないイレギュラーな問題だと思うんだよ。
その対応は人間じゃなきゃできないことで、どう対応するかに人としてのスタンスが現れるじゃない?」
その言葉を聞いて、いわばKさんと僕の食事の時間も、業務と切り離された「イレギュラーな」時間であり、Kさんは人間としてその時間を大切にしてくれているのだと感じました。
さらにKさんはこう続けました。
「もちろん、いくら人間であることを大切にしたくても、感情的な判断が許されないときはあるよ。
感情ではどんなに部下の意見に共感できても、それを本人に伝えられないとき、バッサリとダメなものはダメ、と言い切らなきゃいけないときはある。
でも、自分の中では色々と考えるよね。
結論としては、相手の気持ちに寄り添えなかったことについて-。
他に方法はなかったのか、とかさ。」
俺、18歳のときにバイト先の店長から言われたことをずっと覚えててさ。
「人の縁は大切にしろ」って。
それがずっと心に残ってるんだよね。
君と俺も不思議な縁で11月から一緒に働けてる。
だから、この縁を大事にしたいと思ってるんだ。
心を失わずにい続けようと、葛藤し続けること
Kさんの言葉から、僕は2つのことを感じました。
一つは、僕たちは仕事人である前に、一人の人間であるということ。
働くことというのは、1つの手段でしかありません。
生活の糧を得ること、自己実現、社会と関わりを持つこと、幸せになること…
様々な目的を達成するための手段であるはずの仕事で、感情を失い、心を失くすことはとても勿体無いことなのだと思います。
その点、Kさんはあらゆる場面で人の心を持ち続けています。
直属の部下でない僕の体調を気にかけてくれたこと。
食事に誘ってくれたこと。
人の縁を大切にしていること。
そこでもう一つ感じたのは、効率化の社会の中で「一人の人間であり続けようと模索すること」の大切さと、難しさです。
コールセンターでも、仕事の目標は基本的に数値化されたものばかりです。
いかに少ない人員で沢山の案件を捌くかが重視される世界で、効率とは正反対の「やさしさ」を失わずにいること。
Kさんがこれをできているのは、ひとえに日々の葛藤の積み重ね、そして自分のあり方を模索し続けてきた結果なのだと思います。
会社のルールやシステムに則った判断をしたときでも、
「人として、今の判断は正しかったのか」
「自分はこの”あり方”で間違っていないのか」
と自問自答し続けること。
組織に所属している以上、その組織で生きていくためには、もしかしたら感情を失ったほうが楽なのかもしれません。
でも、社会の要請を前にしても「自分がありたいあり方」を希求し続け、苦しい葛藤を繰り返しながら日々を積み重ねていく強さを、僕も持ち続けたいと思いました。
きっとそれができている素敵な仕事人は、世の中にたくさんいるのだと思います。
まっすぐ、純粋に、自分に正直に。
どんなに社会が無味乾燥なものになろうとも、人としての温度は忘れずに生きていけたらと思っています。