なぜ体を鍛えることが必要か?
バリバリ仕事をこなす人には、体を鍛えている人が多くいます。
素朴に「なんでそこまで?」と思い本人にその理由を聞くと、大抵「体力をつけないと体が仕事についていかないから」、「健康を保ちたいから」という内容でした。
ですが長年、私はこれに納得がいかなかった。
ジムなどで体を鍛えることの「肉体的苦痛」や「時間」「コスト」と、それによって得られる「健康」「体力」を天秤にかけると、どうしても割に合わない気がしていました。
私は中学・高校と運動部に所属していましたが、何らかの目標(全国制覇!など)を目指して行うスポーツと違い、社会人になると何かの競技で結果を出すのでない限り、スポーツをする意味を見失っていました。
■転機
しかし、社会に出てから私はあることに気が付きます。
「どうやら自分は普通より体力がないらしい…」
そう思ったきっかけは、長時間残業でした。
毎日終電近くまで残業する同期に負けたくない気持ちもあり、黙々と仕事に打ち込んでいたとき、残業が一定時間を超えると決まって体調を崩しました。
そういう場合は大抵、「心は働きたいと思っているのに体がついていかない」という、心と体のアンバランスを感じていました。
結局、その後も仕事が忙しくなるたびにちょこちょこ体調を崩し、最終的にはブレーカーが落ちたように体が動かなくなり、私は長期間の休職を余儀なくされました。
■気づいたこと
結局そこで気づいたのは、
「体は、心の住む家である」
「心を健康に保つためにも、体を健康に保たなければいけない」
ということでした。
私は心の成長ばかりを追い求めて、仕事や人間関係であれこれ考え、悩み、焦って、ひたすら心に体を従わせてきました。
しかし、そうしたことに必要なエネルギーは体から供給されているので、体のエネルギーが切れて再起動できなくなったとき、私の心は体と同じように下降の一途をたどっていきました。
問題の本質は、体の声を聞かなかった(というより体の声がわからなかった)こと、体の健康を軽視して心を暴走させすぎたことにあるのですが、一方で日頃から体を鍛える(心の住み家を整える)ことによって心の健康も維持しやすいことに気づいた経験でした。
■行動を変えた結果
今では、嫌いだった筋力トレーニングやウォーキング、サイクリングに加え、駅でも一切階段を使わないなど、体を鍛えることを意識して生活しています。
始めてみて、色々な気づきや得たものがありました。
・間違いなく、以前より体調がいい。日々の体調が底上げされた感覚。
・自分の体が引き締まったのを見て、自分に少し自信が持てるようになった。
・体を鍛えることは一時的なストレスも伴うが、それを乗り越えて目的に向かって努力することで心も鍛えることができた。
私の場合、「体は心の住み家である」ということを理解してから、行動を変えることができました。
何がスイッチとなって意識や行動が変わるかは人それぞれだと思いますが、この話が何かの参考になればと思います。