感性を、言葉で取り戻す
2週間ほど前から、高校時代の友だちと交換日記(共同ブログ)をはじめました。
https://note.mu/hirobiro_wattle
私が転職を繰り返し、苦しい真っ只中にいるときから不思議と連絡を再開した大切な友だち。
どん底にいるときでも、ずっと見守り、励まし、素の自分を肯定し続けてくれた人です。
今日はそのブログから、自分の心の中をとてもうまく表現できた記事をそのまま引用したいと思います。(ちなみに、「ひろびろ」が私です)
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1.感覚と感性
感覚は、自分自身にいろいろなことを教えてくれると思う。
好きか嫌いか、心地よいかよくないか、進むべきか立ち止まるべきか。
よくよく感覚に耳を澄ませば答えは出ていることも多いのに、それに気がつくのはなかなか難しい。きっと、思考がそれを邪魔してるんだと思う。
身近な例で言えば、人の好き嫌いは、基本的に感覚が一番知っていると思う。頭で考えて「この人は●●だから好き」って思うより、「理由はないけど、なんかこの人好き」と感じる方が、余程自分の心の中心に近い気がする。
感覚を感じる力のことを感性と呼ぶとすると、感性と思考にはトレードオフのような関係性があって、一方が強くなればもう一方は弱くなる気がする。頭ばかり使っているときは、五感で受け取る情報が極端に減っていると思う。
でも、人を幸せに近づけてくれるのはきっと感性のことのほうが多い。「普通そんなことしないでしょ!」と周りから非難されるような選択も、それが自分の感覚に正直になった結果だとしたら、きっとそれで間違ってない。頭を使うことも大切だけど、そればっかりじゃ大切なものを見逃しちゃう。
2.感性は、言葉にすることで取り戻せる
俺の場合、「頑張っているのになんで気持ちが満たされないんだろう」って感じるときは思考に偏ってるケースが多いんだけど、感じてることを言葉にするほど、鈍った自分の感性は徐々に取り戻せることに最近気がついた。
言葉にして表現して初めて、自分の内側から出た言葉にハッとさせられることがある。「ああ、自分はこう思っていたんだなあ」というように。
感じていることを言葉にしてみたものの、「あれ?なんかうまく言えてないな…」と感じることも多いけど、そう感じること自体がすごく大事だと思う。なぜならそれは、自分の感覚をちゃんと感じようとしていることの表れだから。しっくりこなかったら、また別の言葉を探してみてもいい。
そうやって試行錯誤するたびに、自分が自分の中心地に近づいていける。
俺にとってはこのブログは、まさしく自分の感覚や感性を言葉にして表現させてもらえる場所。書いているときは、「考えている」というより、「自分自身にアクセスしている」とか「自分の感覚とつながっている」という感じ。だから、書けば書くほど元気になっていくんだよね。
感じていることを言葉にして、聞いてくれる相手がいることってとても素敵なことだし、尊いこと。
これからもこの場所と、感性でつながり会える人たちを大切にしていきたい。