自己評価と収入は比例する
短期アルバイトが終わって1週間が経ちました。
社会人になって初めて、次の仕事が決まっていない状態での無職を経験しています。
色々と今できることはやっているので、焦らずに縁を待っている状態です。
今日は色々とこれまでの仕事人生を振り返っていました。
その中で、以前から思っていた持論について、今日は書いてみます。
新社会人のときに感じた違和感
新卒で半導体関連のメーカーに就職したときのこと。
初任給の給与明細を見て、「こんなにもらえるのか…!」と驚いた記憶があります。
社会人1年目の収入が、年収にして約500万円。
僕はこのとき、2つの違和感を覚えました。
①仕事の能力と給与水準の不均衡に対する違和感
まず、1ヶ月前まで学生だった、何の実務能力もない自分が、当時サラリーマンの平均年収と言われていた400万円を上回る収入を得ることに、かなりの違和感を覚えました。
収入に見合った仕事をしたい!という思いもあり、3年ほどは積極的に自己研鑽を積みました。
ですが、違和感はなかなか減りませんでした。
同じ会社の中でも、より業務負荷の高い営業系職種の同期と、管理部門で座り仕事をしている自分が、大して変わらない給料をもらっていることにも違和感がありました。
②自分という人間と給与水準の不均衡に対する違和感
もう一つは、「自分がこんなに給料をもらえるはずがない」という違和感です。
言葉で表現するのが難しいですが、毎月の給与明細を見るたびに、もらいすぎてしまった罪悪感のような、何か落ち着かないような感覚がありました。
この2つの違和感から、心の底ではいつも、
「俺は実際に出している成果や、能力以上の給料をもらっている」
「この待遇が当たり前だと思ったら大間違いだ」
「もし他の会社で同じレベルの仕事をすれば、間違いなく収入は下がる」
などと思っていました。
実際のところ、当時の自分の仕事能力が収入に見合う水準だったかどうかはわかりません。
でも確実に言えるのは、当時は非常に自己評価が低かったということです。
転職を繰り返した結果、収入はこうなった
その後、色々思うところがあって転職をします。
このときの転職では、給与水準は維持されました。
同じ収入でも、仕事がより1社目より高度に、負荷の高いものになったことで、①の「給与に見合った仕事をしていない」という違和感は減りました。
ですが、②の違和感が残り続けました。
結果、その後の2度の転職では、
550万円→400万円→250万円
と次第に収入は下がっていきました。
最終的に年収250万円まで落ち込んだことで、ようやく②の違和感はなくなりました。
この水準が、自分にとって「落ち着く水準」だったということだと思います。
深層意識下での自己評価と、収入は比例する
ここから感じたのは、
「深層意識下での自己評価と、収入は比例する」
ということです。
なんとなく、自分自身の深層意識が今の現実を形作っているような感覚があります。
正社員を外れ、非正規雇用となったこと。
社会的な立場も弱くなり、生活水準が下がっていること。
すべては自分の深層意識が「自分にふさわしい、落ち着く場所」に身を置こうと働いた結果のような気がします。
ここでポイントなのは、顕在意識ではなく、深層意識が現実を形作るという点です。
表面的には虚勢を張り、「俺はデキる人間だ!」と息巻いていても、
深層意識下で「俺は能力が低い。今の組織をクビになったら食っていけなくなる」などと恐れを抱いていれば、こちらの恐れが現実になる可能性が高い。
それくらい、「深層意識下では自分をどう評価しているか」は重要な問題です。
深層意識は、実体験によって書き換えることができる
この記事を書いている現時点では、最悪の時期よりもだいぶ自己評価が上がっている実感があります。
それは、直近で年収250万円の仕事(一つ前の記事に書いたような低単価・低付加価値の仕事)を経験したことがきっかけです。
こうした仕事で、周囲の同僚と自分を比較し、目の前の仕事と自分の能力を比較して、「自分はもっと高い賃金をもらっていいし、もらえる能力を持っているんだな」と自然と感じることができました。
これまで属していた組織とは比較対象たる同僚が色々な側面(能力水準や、仕事に対する姿勢・意識など)で違ったことで、自分の能力水準を正確かつ客観的に評価できたのかもしれません。
自分の能力に対する自己評価を書き換えるには、こうして実体験を積むのが一番の近道のような気がします。
今は目下仕事探しの真っ最中ですが、今日書いたことに信憑性があるのかどうか、自分をサンプルとしてこれから検証していきたいと思います。笑