魂のカタチ
今日はいつもより短文を。
いつも論理的なつながりや整合性が気になって、つい長文になってしまうのですが、
最近友人から
「ブログには、普段のあなたの"らしさ"が表しきれてない気がする」
と意見をもらいました。
自分自身納得するところがあったので、普段会話の中でつぶやいているようなことを、「エッセイ」というカテゴリの中にまとめてみることにしました。
今日はその1回目の投稿。
テーマは「魂」という言葉です。
~『魂のカタチ』~
「魂」という言葉は、「その人の存在そのもの」を指す言葉だと思う。
「個性」や「性格」、「心」という言葉では表しきれない、存在そのもの。
存在と、そこに含まれている性質まで示すのが「魂」という言葉。
だとすると、一人ひとりの人間の魂には、きっと1つ1つの形がある。
その形を目に見えるカタチに具現化できたとしたら、
自分自身は、大切なあの人は、どんなカタチをしているんだろう。
人は、きっと持って生まれた魂のカタチを、ありのまま表現したいと願っている。
自分の生命を、余すところなく表現したいと願っていると思う。
でも、残念なことにそれはとっても難しい。
好きなように振る舞えば、周りから批判されることもある。
だから、みんな自分の魂を世の中の型や枠組みに押し込めて生きている。
魂は、何かを我慢しながら窮屈な思いをしている。
でも、世の中がどうであっても、
自分自身は、誰かの魂の表現を否定する人ではいたくないと思う。
その表現がその人自身と誰かの生命や心を傷つけるものでない限り、
誰かの存在や性質そのものを、ありのまま尊重できるような人でありたい。
自分自身と、自分の大切な人たちの、ありのままの魂のカタチを、
見てみたいし、感じてみたい。
そして、つながってみたい。
お互いの存在と性質を尊重できるような、そんな人のつながりを、
生きている中でたくさん感じられたらいいよね。