過去を肯定できることの意味
自分の過去の経験の中で、
「あのときは辛かった」
「不運だった」
と思う出来事はないでしょうか。
プラスの意味付けが難しい嫌な経験は誰にでもあると思います。
そして、良い思い出より嫌な思いのほうが深く記憶に刻まれていたりします。
今日は、そんなネガティブな経験がプラスの財産に変わる、1つの気づきについて書いてみます。
自分の過去を無意識に否定していないか
1つ前の記事に書きましたが、僕は前職の会社でなぜか借金を背負いました。
必死で働いたことの対価はお金という形で得られず、心身にも深いダメージを負いました。
それでも、心の中では
「これほどひどい職場は今後そう出会えないだろう」
「ここまでひどい経験をすれば、今後の人生、何でも"恵まれている"と感じられる」
などとプラスの意味付けをしていました。
そんな会社を選んでしまったことへの後悔も、全くしていないつもりでした。
でも、それは強がりでした。
派遣先こ仕事で、初対面の方から「ここに来る前はどんな仕事をしてたの?」と聞かれるたびに、僕は前職の理不尽な経験を語っていました。
そのときの僕の心の中には、たしかに会社への不満や怒り、そんな会社を選んでしまったことへの強い後悔、休職経験を2回も積み増ししてしまったことへの悔しさがありました。
顕在意識でどんなに前を向こうとしても、潜在意識では後悔や怒りが残っている経験。
きっと誰にでもあるんじゃないかと思います。
この経験から「後ろを向いてクヨクヨしても仕方ないとはいえ、無理に前を向こうと意識しても心が頭についていかないことがある」と学びました。
一番つらいのは、自分自身が自分を否定すること
そうした後悔や怒りの感情は、今この瞬間や、未来に向かうプラスのエネルギーを削いでしまいます。
ネガティブな感情の矛先が自分自身に向かうと、その傾向はさらに顕著になります。
「なんで自分はあんな選択をしてしまったんだろう」などと自分自身を否定すると、今後の自分の選択に自信が持てなくなるばかりでなく、意識「今」や「未来」ではなく「過去」に向かってしまいます。
人間にとって一番辛いのは、他人に否定されることではなく、
自分が自分自身を否定すること、
自分が自分自身を信頼できなくなることです。
大勢の人に否定され続けても、自分が自分を信頼している状態。
大勢の人に認められてはいるが、自分が自分を否定し続けている状態。
極端な二択ですが、後者のほうがきっとより辛いのではないかと思います。
点と点は、いつか線になる
僕自身も潜在意識下では自分の選択を深く後悔していましたが、
最近、そんな意識がガラリと変わる出来事がありました。
それは、今契約社員として従事している仕事で、今までの経験やそこで得たスキルが全て生きている実感を得られたことです。
その結果、会社にも仕事ぶりを評価してもらうことができています。
直近の2年間は仕事の進め方も、能力も、成果も、何一つ認められず否定され続けた毎日でしたが、会社からの期待に応えようと必死に努力していました。
それでも否定は止まらず、心が折れて休職もしました。
結局退職するまで一度も褒められることなく終わり、退職のときには「自分はなんて仕事ができないんだ」と完全に自信を失っていました。
ですが、その間に積み重ねた努力が知らぬ間に自分の血となり肉となって、今になって初めて、身につけたものが評価され始めました。
確かに「お金」という形で報酬は得られませんでしたが、「仕事のスキル」という財産を身につけることができた2年間だったんだと、初めて心からプラスの意味付けをすることができました。
自分の否定していた過去が、肯定できるようになること。
その意識の転換が起きたとき、心には未来に向かう前向きなエネルギーが湧きます。
過去の自分も含めて肯定できることが、こんなに未来に向かう意欲ややる気を湧き上がらせてくれるのかと、実感した瞬間でした。
3度にわたる休職の経験も、無駄ではありませんでした。
苦しんだからこそ心の健康のありがたみがわかるし、人の痛みに寄り添うことの難しさも理解することができました。
スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学でのスピーチで言っていたように、「点と点が線になる」ということ。
大袈裟ですが、そんな感覚を齢30にして初めて感じ始めました。
まとめ
とはいっても、自分が否定している過去を、意思の力だけで肯定できるようになるのはとても難しいことです。
その意識の転換には、少なくとも何かしらのリアルな実体験が必要です。
今回はたまたま身を置いた環境が良かったのですが、自分から行動を起こしてその意識転換をできる方法はまた別記事で書きたいと思います。
また、中には肯定することができない過去もあります。
すべてを肯定すべきだとも思いませんし、そんな必要もないと思います。
ただ、大切なことは、過去も今も未来も含めて自分自身を信頼することなんだと思います。
良い出来事もも悪い出来事も含めて無駄なものは1つもない、いつか1つの果実となって実を結ぶことを信じること。
このことを忘れずにいられたら、きっと安心して過ごしていけるような気がします。