体を鍛えることで、人にもやさしくなれる
今日はライトめのお話。
以前の記事で、「体は心の住み家であり、心を健康に保つためにも体を鍛えると良い」ということを書いた。
今日は、それに付随した一つの気づきのお話。
(道端の畑に大量のさやえんどうが…↑)
人にやさしくするために必要なモノ
「自分にも、人にもやさしくありたい」と日々思っていても、心理的距離の近い人には特に、ついつい厳しく当たってしまうときがある。
そんなとき、僕たちに不足しているモノの一つは「心の余裕」だと思う。
やっぱり、自分の気持ちに余裕がなければ、人にやさしくすることは難しい。
では、自分の気持ちの余裕はどうすれば生まれるのか?
そもそもなぜ、自分の気持ちに余裕がなくなるんだろうか?
そんな問いを立てたとき、僕の中に「自分の体の調子が良くないからだ」という一つの答えが浮かんだ。
もちろん他にも色々な答えがあると思うけど、一見無関係な「体の調子」が「心の調子」に影響を与え、人にやさしくできなくなっていることがあるんじゃないだろうか。
平たく言えば、病気でめちゃくちゃ体調が悪いときに人にやさしくするのは難しいよね、ということでしかないんだけども。
体調が悪いときに、人にやさしく接しろと言うのはなんとも酷な気がする。
(逆に言うと、誰かからきつく当たられたとき、その人はもしかしたら体調が悪いのかもしれない)
体を鍛えることは、自分のためにも人のためにもなる
ということは、体力と免疫力があり、体調が常に安定していれば、体の不調が原因で気持ちが落ち込んだりすることはないはず。
気持ちが体に悪影響を受けない分、受けていたときと比べると心理的安定を保てる可能性も高いと思う。
僕自身はわりと思考偏重タイプで、体を動かしたり鍛えることを軽視しているところがあるので偉そうなことは言えないけど…
体を鍛えることは、自分自身の心身の健康だけでなく、人にやさしくできる(結果、人と良好な関係を保つ)ことにもつながるんじゃないかと思う。
だとすると、体を鍛えることはまさに一石二鳥。
以前、別の記事で「意識を内と外にバランスよく向けることが大切」と書いたけど、心と体も、どちらかに偏ることなくバランスよく使っていくことが大切なんだろうな。
体を鍛えることのもう一つのメリット
さらに、体を鍛えることのメリットをもう一つ。
月並みかもしれないけど、僕の担当カウンセラーによると「怒りの感情は、自責的な(自分自身に向く)ものにしても、他責的(他人や環境など、外に向く)ものにしても、運動などで体を動かすことである程度発散できる」ということ。
僕は、怒りなどのネガティブな感情を発散する方法として、「自分のネガティブな感情とトコトン向き合って、沢山考えて、物事の意味付けをしたり解釈を変えたりしながらネガティブな感情が湧いてこなくなるまで消化を試みる」というプログラムしか持っていなかったのだけど、「体を動かす」という一見関係のないアプローチで一定ストレスの発散になることを学んだ。
少し話が広がるけど、会社組織の上司が部下のタイプに応じてあらゆるマネジメント手法の引き出しを持つ(この部下は懇切丁寧に指導しながら褒めて伸ばそう、この部下はある程度放置して仕事を任せよう…等)と強いのと同じように、ストレス解消法も、自分のストレスの種類や度合いによってたくさんの引き出しをもっておくと強いと思う。
と書きつつ、「体を動かしてネガティブ感情を減らす」はまだ実践していない…。
なので、実践した結果はまた改めて、違う形でまとめて記事にしたいと思います。