身近な人にほど多くを求めてしまうという問題
以前の記事で、「人間の心の成長には3つのステップがある」ということを書いた。
その1ステップ目、「人と自分に"同一性"や"同質性"を求める段階」について、最近「自分と心理的距離の近い身近な人ほど自分との違いを認め、受け入れるのが難しい(≒同質性を求めがち)」ということに改めて気がついた。
今日はこのテーマについて問題点を整理をしたうえで、身近な人に過度に同質性を求めないために
- 身近な人に関わるうえで何に注意するか
- 自分自身の心をどう変えるか
という2つの視点から対処法を考えてみたい。
身近な人に同質性を求めることで起きる問題
最近あった出来事
「身近な人にほど同質性を求めがち」というのは、家族との関係を思い浮かべれば「確かにそうだよね〜」とすぐ理解できる話かもしれないけど、友人などでも同じことが起きることを最近体感する出来事があった。
親しい友人とお茶をしながらお互いの恋愛観・結婚観について話していたときのこと。
テーマは「恋人と結婚相手、それぞれにどこまで自分との共通点を求めるか」という話で、僕が相手に求める基準が彼よりも高くて、考え方がすり合わなかった。
その友人と僕は元々性格があまり似ていないこともあって、ある程度考え方の違いは予測していたものの、会話が進んで恋愛観・結婚観の違いが明確になってくるほどストレスを感じている自分がいた。
きっとそれは僕の態度に出ていて彼にもストレスを与えていたと思うし、その結果会話も散漫になってしまった気がする。
僕がストレスを感じていたポイントはきっと、「自分の考えや価値観に共感してもらえなかったこと」なんだと思う。
他の友人や、もう少し心理的距離の遠い相手であればそれをストレスに感じなかったんだろうし、こちらも「あなたはそう思うんだね。俺たちは違うね。」と相手の考えを認められたような気がする。
でも、10年以上の付き合いになる親しい友人だからこそ、自分の考えに共感してもらえないことが寂しく、自分の考えの正しさを主張して相手の考えをこちらに合わせるように会話を展開してしまった。
多くを求めすぎることは、相手との関係性を冷やす
自分と共通点の多い人や、他の人よりも人一倍対話を積み重ねてきた人は、そうでない人と比べて、話していて自分の考えに共感し自分を受容してもらえたような安心感を与えてくれる。
そうして「あれも共感できる」「これも共感できる」と共感ポイントが増えていくと、相手に求めるものは次第にエスカレートし、相手が共感してくれないことがあると「どうしてわかってくれないの?」と悲しくなったり、相手が自分の期待通りに動いてくれないと「どうして気持ちを察してくれないの!?」と腹を立ててしまったりする。
(結婚相手や恋人なんかは特に、こういうことが起こりやすい気がする)
どんなに分かり合えそうな気がしても、最後まで別々の人間である以上、共感しあえないことがあるのは仕方がない。
その事実を受け入れずに相手に求めすぎることは、相手を尊重していないことそのもの。
相手を尊重しなければ、自分だけが一方的に尊重され続けることは難しい。
こうして、自分起点で相手との関係性を冷やす例は身近に沢山ある。
度合いの差はあれ、きっと多くの人が経験したことがあるんじゃないだろうか。
対処法①:心理的距離が近い相手こそ、自分との違いを意識する
先に挙げた過去記事のステップ2、「人と自分の"多様性"や"違い"を知り、受け入れようとする段階」は、こうした心理的距離の近い相手にこそ意識的にやらなければいけないと(自戒を込めて)思う。
僕自身、先の経験を踏まえて身近な人ほど
- まず、自分が相手に共感を求めすぎて腹を立てているときを自覚する
- 何かの議論になったら、「両者が合意できる一つの結論にたどり着くこと」や「相手に自分と同じ考えを持ってもらうこと」をゴールにしてしまっていないかを自問する
- 相手の考えを、自分の考えとの共通点・相違点を意識しながら理解しようとする
の3点を意識して関わっていきたい。
実際に、先に挙げた友人とのやり取りでも途中から「あなたはそう思うんだね。僕とあなたはココが違うね。」とお互いの違いを明確にして、認めようと心がけたことで議論は穏やかに収束した。(と僕は思っている、、)
対処法②:一番の原因は、自分の心の中にあると知る
と、ここまで「自分視点で、心理的に距離の近い相手とどう関わるか」を中心に話をしてきたんだけど、
実のところ、身近な人に多くを求めてしまう一番の原因は、自分自身の心の満たされなさにあるんだと思う。
自分の考えを自分自身が認め、受け入れられているか?
もしそうであれば、他人の共感や承認などなくても、心の平穏は乱されないんじゃないか。
自分の考えにどこか自信がなかったり不安があったりして、そうした気持ちを他者に埋めてもらおうとする弱さを、少なくとも僕は僕自身の中に感じた。
その一つの証拠に、先の友人は「自分の考えに共感してもらいたい」という気持ちを他者に対してあまり抱かないのだそう。笑
彼には安定した自己肯定感の高さを感じるし、その言葉を聞いていて僕も「本当にそうなんだろうなあ」と感じたので、きっと真実なんだと思う。
だとすると、自分自身の弱さとの向き合い方次第で、彼のように他者の共感を得られなかったとしても心が安定している状態は作れるんじゃないか?
僕自身の心の満たされなさに気がつくと同時に、満たされた後に待っている平穏な心の世界も垣間見ることができて、友人には改めて感謝…。
あまりまとまっていないけど、今日はこのへんでおしまいです。