ココロを自由にするブログ ~自信を育て、しなやかな自分を創る~

不安に振り回されず、自由に生きる。二度の休職を経験した筆者が考える、心の自由を手に入れ、幸せな人生を歩むための、考え方と行動のヒント集。

大切なのは、「あり方」

今日はちょっと閑話休題を。

最近色々な記事を書きながら感じた気づきを3つ、文章にしてみようと思う。


①意識を内と外にバランスよく向けることは、常に大事 

このブログを開設した当初、一番のモチベーションは「自分の感覚や思索の内容を文章にしたい」という純粋な欲求だった。

巷でよく聞く「書くネタがない」というブロガーの悩みは当時の僕にはちょっと不思議で、「そもそも書ききれないほど書きたいことをテーマにして、ブログを書くんじゃないの?」と思っていた記憶がある。

実際、毎日の更新はできないけど「心を自由にする」というテーマでは毎日湧き出るようにネタを思いつくし、溜まりに溜まった下書きを少しずつ完成させていくのは楽しい。

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一方で、最近気づいたのは、書いているテーマが一定期間内面的なものに偏ると、自分自身の気持ちも内に内に向いていくこと。

自分の感情や人との関係性について、感性を全開モードにして感じたいまま感じたり、それを文章にまとめたりすると、気づきも多いけど精神的な消耗も大きい。
記事を書いた後は充実感やスッキリ感とともに、ちょっとグッタリするのが実際のところ。

そんなとき、自然と書きたくなるのは本や映画の紹介、少し大きな視界での考え方など、「外」に意識の向いた話。

こうして「内」と「外」に交互に意識を向け、バランス良く考え事をすると、どちらの世界もより生き生きしたものに感じられ、その時間は充実したものになる。

同じように、人付き合いにおいても、誰かと一緒に過ごす時間も大切だし、一人で過ごす時間も同じくらい大切だと思う。
誰かと一緒に過ごす時間でしか得られないものもあれば、一人で過ごす時間でしか育まれないものもあるような気がする。

この「内」と「外」のバランスはこれからも意識して、バランス良く色々な記事を書いていきたいなと思ったのが一点目のおはなし。


②書いているのは、僕がこれまでの経験から見出した"一つの"考え方でしかない

こうして記事を書いていると、その内容が自分の辛い経験に裏打ちされたものであるほど、断定的な表現を使ってしまうことがある。

でも僕としては、「記事に書いていることは正解ではなく、あくまでyudaiという一人の人間がこれまでの経験から見出した"一つの"考え方でしかない」という姿勢を保ち続けたい。
断定的な物言いや他の考え方を受容しないような頑なさは、言葉だけでなく、自分の心からもなるべく排除していきたいと思っている。

「絶対に正しい考え」など存在しないし、仮に「正しい可能性がかなり高い考え」があったとしても、僕はそれを人に押し付けたくない。
一番大切なのは、一人ひとりが自分の経験の中で自分なりの学びを見出し、それを尊重しながら納得感をもって歩んでいくことなんじゃないかと僕は思う。

自分の考えの押しつけは、「自分で考え、決め、経験して、体と心で学ぶ」という学びのプロセスを奪い、そして進みたい方向に進もうとする本人の意思を軽視することになりかねないんじゃないだろうか。

「人生」という単位で考えれば、一人ひとり大切にしている考え方があって、一人ひとりがそれに納得しているのなら、何か一つの考え方に統一する必要なんてない。

そんな風に自分も自分以外の人も尊重する姿勢を、ブログだけでなく人生を通して保っていきたいなと思う。
これが二点目のおはなし。

③もっともも大切なのは、「あり方」

これが、今日一番言いたいこと。

②で書いたような話がこのブログには多く登場するけど、「結局のところ、自分が大切にしたいのは"あり方"なんだな」ということを最近つくづく実感する。

仕事で言えば、成果に直結するような知識やスキル、
生活で言えば、暮らしの質に直結するような生活の知恵やお金のIQ,EQなど、

どれも興味がないわけではないけど、一番興味があるのは、

「仕事は、自分の人生においてどんな存在なんだろう」
「その仕事の中で、自分は相手にどんな向き合い方をしたいのかな」
「僕の暮らしの中で、いちばん大切にしたいことはなんだろう」
といった、もう一段手前で、抽象度の高いテーマなんです。

こうした問いは全部「あり方」という言葉で束ねられる気がしていて、どんな場面でも「あり方」を大切にしたい、というのが僕の一つの人生観なんだと思う。
先の②で書いた話も、まさに「このブログを読んでくれる人にどう向き合うか」、「どんな立ち位置でブログを通じてメッセージを発信するか」というあり方の話。

今思えば、「この人はすごいなあ」と湧き上がるような尊敬の念が湧いてくる相手というのは、皆自分なりの確固たる「あり方」を持っていて、それが僕にとって共感できるものだったように思う。
そんな「あり方」の要素を言葉にすると「謙虚」「やさしい」「愛がある」「多様性を受容できる」など安っぽくなってしまうんだけど、体と心は間違いなくその「あり方」に言い表せない魅力で惹きつけられていた記憶がある。

「あり方」は目には見えないし、言葉にするのも難しくて、「あり方」を言語化して意識的に人と交換し合うことも少ないけど、仕事で言えば知識やスキルよりももっと根底の深いところで、確実に仕事の質に影響を与えていると思う。

「人生」という単位で考えても、人生に対する「あり方」に向き合い続けて、それが固まってブレない人は、人生そのものも間違いなく本人にとって豊かなものになると思う。
その生き方が結果として、周囲の人に影響を与えたりするんじゃないか。

僕はこのブログを通じて、「自分がどうありたいか」を様々なテーマや場面で自問自答し、一つずつ作り上げていくのだと思う。

判断に迷ったときほど、一番大切なのは「あり方」。
どうするか、ではなく、どうあるか。

それを見つけるために、対人関係、仕事、人生の3つの分野で自分の「あり方」を問う質問例を載せて、この記事の終わりにしたい。

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〈対人関係での「あり方」〉
「自分は、目の前の相手に対してどんな存在でありたいんだろう?」
「自分は、相手をどんな存在だととらえているのだろう?」

〈仕事での「あり方」〉
「この場面において、自分がいちばん大切にしたいことはなんだろう?」

〈人生での「あり方」〉
「自分は、自分の人生に対してどんな風に向き合いたいだろう?」
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