ココロを自由にするブログ ~自信を育て、しなやかな自分を創る~

不安に振り回されず、自由に生きる。3度の休職を経験した筆者が考える、心の自由を手に入れ、幸せな人生を歩むための、考え方と行動のヒント集。

「人の話を聞くこと」は、実はとても難しい

自分の話を、相手が理解してくれたと感じるのはどんなときだろう。
逆に、人の話を聞いて僕たちが「理解できた」と思うときはどんなときなんだろうか。

「ああ、わかった」とか、
「なるほど。~ってことでしょ?」とか、
僕自身も安易にそういう反応を返してしまうことがあるけど、最近そんな反応にふと違和感を感じたので、今日はその感覚を掘り下げてみたい。

 

人とのコミュニケーションでは、言葉の限界が常にある

結論からいうと、他人の痛みを100%理解することができないのと同じような構造で、他人の話からその人が伝えたいことを100%理解することも非常に難しいと思う。

相手の話を僕たちが受け取るまでの過程を整理してみると、

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①話し手に、伝えたい事象が発生

②話し手がその事象を言葉にして、受信者に伝える

③発信者の言葉を自分(聞き手)なりのフィルターを通して咀嚼する

④聞き手から話し手に、「理解できた」と意思表示をする
ーーーーーーーーー

の4つのステップがある。

この4ステップで起きていることを虫眼鏡で見てみると、
まず①→②の段階で、話し手が言葉にできなかった感覚や想いは言葉上から削ぎ落とされてしまう。

②→③の段階でも、聞き手に伝わるのは「受信者のフィルターを通した」話し手の言葉であって、話し手が言葉に込めた意図や想い、ニュアンスや温度感がそのまま伝わることは難しい。

大抵の場合、この2つの現象は見落とされたまま④の作業にたどり着く。(④が丸ごとナシ、なんてこともよくある)
①→②、②→③で削ぎ落とされてしまったものの存在と大きさに、話し手は④の作業を通じて初めて気付くのだが、大抵それはぼんやりした違和感を残したまま言語化されないうちに通り過ぎていってしまう。

これはどちらが悪いわけでもなく、「言葉」というツールの限界なのだと思う。
僕たちは言葉にできないものは伝えられないし、言葉で表現されないものは理解するのが難しい。
表現しようとしても、自分が持っている言葉の引き出しでは表現しきれずに削ぎ落とされていってしまう想いは、言語化能力を高めるほか、相手に伝える方法がない。

 

ここでも大切なのは、他人の話を聞く上での「あり方」

話し手の伝えたいことが100あるとして、実際に聞き手が受け取れるものは果たしてどれくらいなんだろう?

「そもそも、100全部受け取る必要なんかないんじゃない?」とか、
「ポイントだけ理解できてれば問題ないでょ」とか、
色々なツッコミが聞こえてきそうだけど、

ここで僕が大事にしたいのは「発信者の表現したいものを100%受け取ることができていないことを自覚し、なるべく100%受け取れるように努力すること」だ。

相手が伝えようとしたものを、自分の過去の知識や、他の誰かに聞いた話と結びつけてパターン化し、「ああそういうことね、わかったわかった」と反応するのは、とても勿体無い。

なぜなら、パターン化した瞬間にパターンには当てはめきれないポイントは理解の外に追いやられて学ばれることなく終わってしまうから。
その受け止め方を目の当たりにした相手も、きっと自分の話が受け止めてもらいたいように受け止められなかった虚しさを感じるんじゃないだろうか。

 

「他人の話を聞いて学ぶ」ための具体的ポイント

「あり方」の話だけでは抽象度が高するので、具体的なHowについても僕の考えを書いてみたい。

重要なポイントは2つある。
ひとつは、言葉の奥の背景に耳をすませること。
そしてもうひとつは、「相手の言葉」で理解すること。

一つ目のポイントは、先の4ステップの①の過程に配慮したものだ。
言葉をそのまま受け取ることは誰にでもできるが、その奥にある背景や心情を汲み取ることは意外とできる人が少ない。

「この言葉を発している背景には、どんな背景や心情があるんだろう?」
「自分が相手と同じ状況に置かれてこの言葉を発しているとしたら、そのとき自分はどんな気持ちなんだろうか?」
など、想像力を働かせて相手の気持ちを汲み取ろうと努力すること。

これらの問いの答えには、自分のフィルター(ものの見方)が入っていて問題ない。
「同じ状況に置かれたとしたら自分ならこう感じるけど、どう?」などと、自分なりの想像力を働かせた結果を相手に確認すればいい。

仮にその仮説が芯を外していたとしても、こんな風に質問されたらきっとうれしい。
仮説の内容そのものよりも、あなたの「自分の気持ちを理解しようとしてくれている」という姿勢そのものに、話し手は癒やされるんじゃないだろうか。

さらに注意するとすれば、「相手の言葉」で対話することじゃないかと思う。
たとえば、「理不尽」という言葉について、何を理不尽と感じるかどうかの基準や理不尽の定義は人によって様々だ。

相手の体験談を聞いて「確かに理不尽だな」と思ったとしても、それは自分の「理不尽」の定義を通して感じ取ったものかもしれない。
相手が何を、どのように「理不尽だ」と感じたのかを確認する作業を丁寧に積み上げれば、相手の言う「理不尽」を上手に自分の言葉に組み込んで、相手の気持ちを代弁したり理解を示したりすることができる。

ここまでやろうとすると、人の話をきちんと聞くにはかなりの集中力やエネルギーが必要な気がしてくる。
すべての人にここまで丁寧な向き合い方はできないかもしれないけど、こういう目に見えない気持ちの動きに気づけるような、心のセンサーは持っておきたい。

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