「やさしい」ってなんだろう?
「やさしい」という言葉は、どこか輪郭がぼんやりしている。
広がりと奥行きを感じる、豊かでありながら、とても掴みづらい言葉だと思う。
最近「やさしい」の意味について自分なりの定義ができた。
どんな人が「やさしい」人となのか、今日はそれを言葉にしてみたい。
どんなときに使われる言葉か?
電車でお年寄りに席を譲った若者に感じる「やさしい」、
「結婚するなら“やさしい”人がいい」、
など、「やさしい」という言葉が使われる場面は幅広い。
使われる場面の共通項を探ってみると、「相手が自分を尊重してくれたと感じたとき」、「相手の思いやりを感じたとき」に使われている言葉ような気がする。
相手が気を使ってくれたときに「やさしいね」と言葉をかけるのは、行動そのものではなく、行動の奥にある自分への思いやりに対するものなんじゃないか。
ここで一つ、考えてみてほしい。
「相手が自分を尊重してくれたと感じたとき」、「相手の思いやりを感じたとき」ってどういうときだろう?
パッと思いつくのは、プレゼントを買ってきてくれたとか、重いカバンを持ってくれたとか、そういう気遣い行動なんじゃないかと思う。
それももちろんあると思う。
ただ僕は、「やさしい」ってもっと奥行きのある、温かくて深淵な言葉のように感じる。
「やさしい」の真の意味
「やさしい」の真の意味。
それを僕なりに言葉にすると、「相手がありのままで"在ること"を認め、相手を自由にすること」ではないかと思う。
- かかわっている時間、「自分自身がありのままでいること」を許してくれているように感じる人、
- その人と時間をともにすることで、自分がより「本来の自分」に近付くことができるように感じる人、
- 話していると、自分の中の心理的な囚われが外れて、自分の世界が押し拡げられていくような心の自由を感じる人
そういう人と触れ合うと、僕はそのやさしさに心底満たされるし、とても安心する。
やさしい人は、決して相手に何かを求めない。
- 自分が良いと思ったものに相手が「いいね」と共感してくれなくても、
- 自分のアドバイスを相手が受け入れてくれなくても、
- 相手が自分とは違う意見を持っていても、
- 相手が自分の思い通りに行動してくれなくても。
やさしい人は相手を縛り付けることはない。
自分の価値観を押し付けたりすることもない。
ただそばにいて、
「あなたはどうありたい?」とやさしく問いかけながら、
その答えの方向に自分が向かおうとするのを見守って、
純粋に相手の幸せを願いながら、
そっと背中を押してくれる感じ。
そんな相手と触れ合うと、人は「愛されているな」と感じると思うし、安心して自分の道を歩いていくことができるんじゃないか。
家族も含め、全ての人にこんな関わり方ができたらどれだけ素晴らしいんだろう?と思う。
こういう在り方が、どれだけ周囲の人に安心感と豊かさをもたらすことができるんだろうと思う。
「どういう人でありたいか」は人それぞれだけど、僕は人に対してやさしく在る人を心から尊敬するし、僕自身も「あなたといると私は自分の心が自由になれるような気がするんです」と言われるような人になりたい。
自分なりの生き方や価値観、「軸」と呼ばれるようなものを持ちながらも、自分以外の人の自由を認め、愛することのできる人。
そういう人はきっと、自分のエゴや弱さを目のあたりにするたびにそれに誠実に向き合っている。
それは言葉で書くよりも想像するよりも、きっと辛くて大変な作業なんだけど、それができる強い人ほど、人に対して「やさしい」存在であることができるんだと思う。